■2004年3月17日(水)〜3月31日(水)■

3月31日(水) 箱根で温泉ビール、最高!           文責:タケ
 芦ノ湖畔でボヘーっとしている午後、ようやく酒が抜ける感じがあって、次に思ったのが、ああ、早くビール飲みてえ、というしょうもなさ。4時過ぎには早々と宿へ入り、浴衣に着替えてすぐに湯殿へ向かった。部活に忙しい子どもたちの、たまにしかない休日がめでたく重なったがための平日家族旅行。子どもたちは春休みだから問題ないが、こっちは月末の水曜日にのんびり温泉に入っていられる身分ではない。身分ではないのだが、いいのだ、いいのだ、それを気にするよりも、今は、ビールが飲みたい。湯から上がって古い旅館のガラス窓を少し開けて風を入れながらビールの栓を抜く。ああ、うまい、と思う。それしか思わない。この感じだけが好きで温泉に来るようなものだ。小食だからか料理にはあまり関心がないし、観光スポットを巡ることにも興味がない。しばらくの間に湯に浸かり、ビールを飲めれば、それだけですっかり満足する。深夜、小腹が減ってきた頃になってもう1度入浴。汗を出して、またビール。ああ、うまい、と、また思う。

3月30日(火) これは長いよ、6時間インタビュー       文責:タケ
 八重洲ブックセンターに、『酒とつまみ』4号の追加分を納品。けっこう調子がいいとのことで気分も軽く地方・小出版流通センターへ赴き、書類を届ける。そこで、今ちょうど追加の納品をしてきたところでと立ち話をすると、なんとここでも追加の注文を受ける。なんとも痛快な1日の流れであるのだが、どうにもこうにも、心の緊張が解けない。そのわけは、本日夕刻より、高田渡さんのインタビューがあるからだ。市ヶ谷の中華屋さんでチャーハンを胃袋に納める。集団的押し掛けインタビュー「酔客万来」の開始時刻の、ちょうど2時間ほど前である。これくらいのタイミングで米粒を腹に入れておけば嫌な酔い方をしないで済むだろうという弱気。普段、そんなこと、気にしたことがないくせに……。そして吉祥寺へ移動、しばらく時間を潰して、『のろ』へ向かう。小誌スタッフも徐々に集結、店へ入りテープレコーダーをセットするが、高田さん、約束の時刻に、やってこない。10分、20分、そして30分。来た。ついに来た。小生の隣に座っていただき、飲み物の注文など、諸々の準備をする。するとそのとき、高田さんのほうからプ〜ンといい匂いがしてきた。酒の匂いだ。なんだか、これで安心した。良かった、という気がした。ここでいっぺんに気が緩んで、こっちも安心してインタビューに突入することができた。内容は小誌5号を見ていただくとして、トータルの時間は6時間に及んだ。あちこちへ話題が飛ぶたびに、高田さんは絶妙に話を合わせながらギャグを飛ばす、洒落を言う。そのたびにおもしろいので、時間が過ぎていくのが早く、最後、大雨の井の頭公園へ無理矢理お連れして深夜の撮影を敢行し、その後で、「おう! のろに戻って飲み直すぞ!」と叫ぶ高田さんの後を歩きながら、こんなふうに飲めるようになったら、今より何倍も酒を楽しめるようになることだろう、などと思った。

3月29日(月) 外に出なければ飲まないか?          文責:タケ
 昨日の怠慢&深酒がたたって、目覚めたとたんに焦りまくり。今日締め切りの仕事がある。おおおお! 終わるのか、ホントーに! 仕事場へ出かけるまでの1時間ちょっとの時間が惜しくて自宅で着手すると、おお、メシを食うヒマもない。そのまま喘ぎながら夜となってようやく終了したのだが、そのとたん、これはラッキーな展開になったと、思った。一歩も外へ出ないということは、交通費、昼食代、ましては飲み代もかからない。お茶代だってかからない。経済的なのだ。すでに夜の9時。駅までちょっと距離のあるところに住んでいるから、ここから飲みに出かける気力はわいてこない。ということはつまり、今夜はまるっきり金を使わずに一夜をやり過ごすことができるということである。よし、この展開はいい。ということで飲み始める。飲まないわけでは、ない。まあ、少しだけ飲んで、さっと寝ようということなのだが、なんかこう、誰にも会わずにコンを詰めた後というのは、こんな小生でも緩むまでに時間がかかる。ビール、ビール、ウイスキーと移っていって、そう、なんのことはない、結果は同じ、深夜まで飲む。緩み切ってなお、飲むのだ。なんにも考えずに……。安上がりではある。表面的には、金は出ていかない。でも、やはり、自宅に買い置きしてある酒は、確実に減っていく。外に出なければ飲まないわけでなく、金が出ていかないわけでもない。そしてちょっと、気になることがある。黙って一人で飲んでいると、ひどく身体にこたえるような気がするのだ。

3月28日(日) 釣りはどーした!                文責:タケ
 さて、日曜日。決意も新たに早起きをして、いざ魚釣りに出かけたかというと、目覚めればすでに10時。それも酒が残って残って、しばらくは動けない。釣りデビューは来週まで待つことにして、ともかく休息。寝ているだけではナニだから少し仕事もしてしまう。夜、長女の親友が泊まりに来て一緒に食卓を囲む。近頃の中学生、口も聞いてくれないかとビビっていたが、そんなことはなく、この娘さん、話はおもしろいし、人間的にもとてもしっかりしていて、安心するやら、嬉しいやらで、二日酔いもすっかり回復、酒が進む、進む。娘たちが、団地アパートの狭い狭い部屋に引っ込んだ後も、小生はまだ嬉しささめやらず、酒が進む、進む。深夜まで。バカなオヤジ、としかいいようがない。

3月27日(土) 奥多摩4時間飲み!               文責:タケ
 11時19分三鷹駅発の青梅特快の最後尾車両に乗り込み、そこでカメラSさんと落ち合う。本日の目的地は奥多摩である。お父っつぁん二人でハイキングするわけではない。トップクライマーの山野井泰史さんを訪ね、『垂直の記憶』という著書についてのインタビューを行うのだ。この本、山の素人である小生でさえ手に汗握る場面に引きずり込まれ、一気に読んでしまうほどおもしろかった。お勧めです。で、山野井さんにお会いして、楽しいお話を聞いて、山のすごさ、それをあまりにも淡々と語る精悍な山野井さんの姿に感動した我らは、奥多摩駅までの帰途、奥多摩むかし道を、ふたりして歩くことにした。行程1時間ほどの、ちょっとした散歩だが、空はよく晴れ、少し歩くだけで汗ばんでくる。機材を持っているSさんには少し気の毒な気もしたので、本当に歩きでいいですか、タクシーを呼びますかと聞くのだが、ナニ大丈夫よと言うからそのまま歩くことにする。途中、階段を登り、坂道を下りという箇所もある。その頃になるとSさん少しバテテきて、小高い丘の上からバスも通る川沿いの道を見下ろし、おい、やっぱバスで行くか? なんか言っている。もうすぐですよ、それに今、バスが行ってしまったんだから、しばらくは来ませんよと言うと、なんだよバカヤロウという表情をして、今度は先に立ってやけ気味にずんずんと進んで行く。駅まできちんと1時間かかり、喉はからから、奥多摩発の都内までの直通電車の本数も少ないとなれば、当然、ビールということになる。駅前の蕎麦屋へ入り、フキ味噌なんぞつまみながらビールを1本、2本、3本、冷酒に切り替えてお代わりまたお代わり。夕方から飲み始めて9時頃まで、後から入ってきた山帰りの若い人、初老の人、みんな帰っちまった後になって、ようやく席を立つ。この店で、多摩川の年間遊魚券が6000円であることを知り、4月から9月までの半年で利用するとなると、1カ月わずかに1000円、隔週で通うなら1回500円、竿と簡単な仕掛けを購入してしまえばあとはエサを買うだけ、飲み疲れて家でへたっていることを考えれば、これは無趣味な我らにとって最高の、廉価で健康的な、初めての趣味と呼びうる趣味になるのではないかと、Sさんと小生、意気投合する。よーし、やるぞ。釣りだ、釣りだ。これからは釣りをするのだーと、ベロベロのふたりであった。

3月26日(金) 古書店にて小誌販売開始            文責:タケ
 新規開店の『楽園書林』という古書店から連絡があって、小誌を扱ってくださるという。さっそく、3号と4号を持って牛込柳町のお店へ。兵庫の出版社、幻堂出版が刊行している書籍も置いていて、中村よおさんの本を買った。それから吉祥寺へとひとまず帰ってきてちょっとだけ『ハバナムーン』。高田渡さんのインタビューに先立って、高田さんの楽曲についてレクチャーを受ける。ピート・シーガーやミシシッピ−・ジョン・ハートといったミュージシャンや彼らの曲との関連など、興味深い話。小生、音楽に疎いので、ここへ来ると勉強になる。明日も早いことから、今夜も早々に撤退。

3月25日(木) またまた広告主、現る              文責:タケ
 東芝EMIのNさんが我らの仕事場を訪ねてきた。広告を出してくださるという。おおおお! そんなすごいことが起きていいのかと焦る、焦る。そこで取り出す『酒とつまみ』の広告料金表。手書きだ。それをコピーして、こういうことになっておりますと。それでいいのか、いいわけないが、Nさん笑って受け取ってくれた。ありがたい限りである。そんな嬉しいことがあった晩はいつもなら確実に酒であるのだが、今夜は帰宅。家内が出かけているので仕方なしに帰宅。毎週木曜日の楽しみであった『白い巨塔』が終わってしまって、なんとも淋しいと思いながら少し、飲む。ほどなく家内も帰宅して、ふたりで飲む。こういうことは滅多にない。そもそも、ベロベロになっていない小生を、平日の夜に見ることさえが、家内にとって、滅多にあることではないのだ。そして、ベロベロにならずに小生が眠りにつく平日というのも、『白い巨塔』も終わった今後、滅多にはないものと予想されるのである。

3月24日(水) 広告主様と邂逅                 文責:タケ
 某PR雑誌の仕事から身を引かせていただくことになり、スタッフの2人が食事に誘ってくれた。食事の後は、じゃ乾杯しようということになってバーへ。場所は吉祥寺のWOODY。その頃、仕事場にいた編集Wクンから電話があり、後でHで合流しようということになっていた。小生も、時間を見計らい、PR誌の人たちが帰った後しばらくして席を立とうとしたのだが、そこへ、小誌に広告を出稿してくださっている歯医者さんがやってきた。いつもどうもありがとうございます、いや、こちらこそ楽しませてもらってますよ、ってな具合で飲みが続き、というより新規に始まってしまって、H到着は深夜も深夜。Wクンに言われ、2時間半も待たせてしまったことに、そこでようやく気付く。なんとも、言い訳のしようもない。申し訳ない限り。ブラディメアリーのグラスを前に、ただひたすら、うな垂れるしかないのであった。

3月23日(火) かるーく、1本                  文責:タケ
 ばかばか飲んでいるときってのは、気分は最悪でも、酒は入る。今夜は中野の『ブリック』という店で、連載陣、山内女史と打ち合わせのし直し。今日は軽くにしておきましょうと互いにいいつつ、ソーダ割りをスイスイ飲むうち、入れたばかりの角瓶1本が空いてしまった。まだ、吉祥寺『のろ』へ『酒とつまみ』を届ける用事も残っていたので、そこで切り上げ、急ぎ吉祥寺へ。しかし、さすがにもう飲めなくて、そのまま撤退となった。

3月22日(月) 高田さん、日時決定でまた深酒         文責:タケ
 午前、約束のとおり、高田渡さんのご自宅へ電話をする。「酒とつまみのインタビューの件で」「ああ、そうだったね」「今後のスケジュールはいかがでしょうか」「こういうものはね、早いほうがいいね」「はあ」「今日の午後はどうなの?」「へ?」いくらなんでも、今日の午後ってね。びっくりしました。オレのほうはいつでも飲めるぞと言われたみたいで、またまた焦り、翌週にいたしましょうと逃げを打つ。インタビュー会場は高田さんの指定で吉祥寺の『のろ』と決まり、店の都合を聞いたうえで、今月中にはやりましょう、ということになった。そして、夜、『のろ』に出向く。編集Wクンはときどきここで飲んでいるから一緒に来てもらってご挨拶。そこで、30日、午後6時半からと決まった。営業時間中にも構わずやってくれと、『のろ』の加藤さんがありがたい申し出をしてくれて、これでダラダラと飲みながら延々と話すという「酔客万来」企画のおぜん立てはできあがった。しかし、そこから、小生の緊張はいよいよ高まるのである。この春の精神状態がメタメタであることも原因のひとつだろうが、なにかこう、人生決め打ってますという人に、小生、やたらと弱いのである。どうしたらいいのか、わからないのである。そこでハバナムーンに移動した後も、Wクン相手にベロベロのからみ酒。終いにャ、叱られるのである。

3月21日(日) 父の成長が追いついてないぞ!         文責:タケ
 終日家にこもってPR誌の校正紙を読む。体調回復。夕方から家族で食事にでかける。一番上の子の卒業を記念して。そう、中学を卒業。来月から高校生。うわあ、進展早すぎって、また焦る。なにしろ父としての小生の成長ぶりに、大いなる疑問があるからだ。とはいえ、父となってから16年の歳月が流れているのは現実だ。この16年、オレは何をしてきたのだろう。メシを食いながら、そういうことを思ってしまうよ。なにしろ、あっという間のことなので。この16年で何が変わったのか。額の面積、腹の容積、顎の線の消滅と、数え上げればキリがないが、いやいや、数え上げればたったひとつ、肥満したということ。これも成長か。ヘっ、太るのも当たり前さ、ずいぶん飲んだからねえ、と感慨ひとしお、である。

3月20日(土) どうしたんだろう、この3月は         文責:タケ
 強烈な二日酔いに加えて、気が萎えて萎えて。昼飯はなんとか推し込んだものの夜、いよいよ不調で食べられない。眩暈、軽い吐き気。なんだろうね本当に、この春はどうしちまったんだと思いながら、こうなっては仕方がない、常備している軽い安定剤を服用。するとほどなく気分が楽になって少し眠り、深夜近くに目覚めると空腹を覚える。用心して雑炊を作ってもらい、恐る恐る食べてみると、うまいじゃないの。まだ、足りない。昨夜からまともに食ってないから当たり前のことで、うどんを追加。ついでにビール。ははは、すみませんねえ、という感じ。あきれ果てる家内。堪忍です。

3月19日(金) 高田さん決定でビビル              文責:タケ
 『酒とつまみ』の「酔客万来」にご登場を予定していた方に、ひとまずは体調のご回復を待つということで了解をいただき、夕方前、吉祥寺ハバナムーンの木下さんに、電話で高田渡さんへの仲介をお願いした。夜、某誌編集者と打ち合わせの後で飲んでいると、編集部のWクンから電話があり、木下さんへすぐに電話をかけるべし、とのこと。そこでかけてみると、今、高田さんご自宅にいるから直接話してくださいと、番号を教えてくれる。うわあ、進展早すぎ、と焦りつつ電話してみると、高田さんご本人が出て、『酒とつまみ』5号への登場をご快諾いただいた。日程について22日の月曜日の午前中に再度調整しようという。決まってしまった。なんと、あの、高田さんに。焦って焦って、ハイボール・バカのみ。そう、銀座Rでのことでした。

3月18日(木) 突然ですが『白い巨塔』最終回         文責:タケ
 取材やら届け物や打ち合せやらで、やたら忙しい1日だったが、仙川駅前『きくや』でビール1本、レモンサワー1杯だけ飲むと帰宅。サッカー観戦かって? それもあるが、今夜はもう1本、『白い巨塔』の最終回があるのだった。実はこのところの数回分はビデオ録画をしておいて、毎週分を欠かさず見ていた。田宮二郎と山本学が出ていた昔バージョンが好きだったから、唐沢寿明と江口洋介という組み合わせに最初はしっくりこないものを感じていたのだけれど、やっぱり、ああいうね、善悪明瞭、涙もあふれる大ぶりなドラマには弱いのよ。すぐに虜となって、感情移入するのは江口さん扮する里見(これでよかったか?)先生、我らが善の権化である。患者の立場に立った目指すべき医療の実現のために大学病院での研究職を捨ててでも闘うその姿勢。ああ、大したもんだよ! アタシの眩暈も治してほしい。昔バージョンでは山本学さんがこの里見先生役で、これがまたハマってて、当時中学生だったか、山本さん扮する地味で実直な内科医に心酔した小生は、ある日、母親にきっぱりと言いました、「お医者になります」。母は笑ったね。なにせその数年前までは星飛雄馬に憧れて「巨人軍へ行きます」と放言していたから。ところで最終回ね、観ていてハタと思ったんだけど、このドラマ、医者と弁護士ばっかり出てくるのね。みーんなアッタマいいんだ。クラブ勤め(ママか?)の愛人まで、昔は医学部の学生だったてえんだからね、観ていてだんだん気持ちが萎えてきた。別の世界の話なんだと。それ、ドラマだから当たり前だけど、もう昔みたいに里見教授に憧れられない自分が少し寂しくもあって、最終回は少し、酒が進んだね。何せ、唐沢さん扮する財前五郎の義父、万事金で解決を図ろうというにっくき敵役でさえ、病院の院長さんなんだからね。万事解決できる金、もってますからね。なんだかねえ、ドラマにからむなって!

3月17日(水) 少しは吟味せんと、いかんか?         文責:タケ
 仕事で知り合った女流画家の作品が展示されているグループ展へ足を運ぶ。1枚の絵の中に奥行きのある広々とした世界がたしかにあって、すげえなあと、絵の分からない小生はひとり呟くのである。以前に聞いたのだが、ひとつの作品に3カ月もの時間が必要という。見直す時間が大切で、一度描いたものをじっくりと吟味し、手を加え、描き足したり消したりしながら、完成させていくというわけである。そんな言葉が、展覧会場の近くのラーメン屋で餃子・ビールを味わいながら「ああ、またちょっと眩暈がする〜」なんて弱気になっている小生の頭の中に思い返されてくる。よく見直して、描き足したり削ったり……か。こちとら、全部、垂れ流し的だもんな。なんとかしないといかんだろ。この言葉、実に実に重いなあ……、なんて深く沈む。ンで、2本目ビール。そして、もやし炒めももらって、グビグビとビールだ。するとたちまち、はあ、ま、いいか! オレはオレってことでってなっちまうのだ。早いのである。わずかにビール2本で、沈んだ気分、ちょっとばかり大事な考えが、すっ飛んでしまう。とことん、垂れ流し体質だ。


最新酒記 3/1-3/16 4/1-4/16