■2004年4月1日(木)〜4月16日(金)■

4月16日(金) 安定剤とビールでふ〜らふら          文責:タケ
 ああ、プレゼンテーション! 午前中から緊張しはじめ、午後、相手先の企業が入居している大きな大きなビルのエントランスホールに入ったときには、もうイケナイ状態になっていた。頭ふらふら、胸元苦しく、プレゼンの最中に強烈な動悸で息もつけなくなるという不安が沸きあがってしまったからもうたいへん。パニック寸前である。常備している安定剤を喫茶店の水で流し込み、その動作ひとつでなんとなく安心を取り戻し、いざ出陣だ。結果を言えば、滞りなく済ませることができたのだが、安定剤を必要としたこと自体が情けなくもあり、やや意気消沈する。夕方には、そのビルの最寄りの駅の構内で、旅行雑誌の編集者と打ちあわせ。スープ屋さんだが、ビールがあったので、ひとまずそれを飲む。仕事場へ帰り、別の仕事をしながらまた缶ビール。安定剤の効果が残っているのだろう、ビールはエライ勢いで回り、その後カメラのSさん、編集Wクンと秋葉原の高架下にあるロックな立ち飲み屋に出向いたときにはフラフラ状態。そこで飲むのは、ホッピーである。11時ごろ、そろそろ帰ろうかというときには意識朦朧。しかし、3月から続いている不安定は、よく飲んで酔っ払っているときにはやはり、影を潜めているのだった。

4月15日(木) いいよなあ若けえって、再び          文責:タケ
 明日プレゼンテーション予定の企画書をようやく書き上げる。小生にも年に1回くらいは、仕事っぽい仕事があるもんなんだ。それはともかく、昔、この仕事場で一緒に仕事をしていた女性が久しぶりに訪ねて来てくれた。フリーライターをしている。結婚して子供を産み、ようやく保育園に預けられるようになったから、遊びに来てくれたのだ。ここで一緒に原稿書きをしていたころには、よく近くのちゃんこ屋で鍋を食い、スナックでカメラSさんの抜群な歌とダンスに腹をよじらせて笑った仲間。しばらく会わない間に、すっかり大人びて、今はもう、若い母親の顔をしている。そのことが、とても嬉しい。なにしろ久しぶりのことだから、積もる話もあるはずなのだが、どうにもその女性がそわそわしている。何事かと思ったら、ここへ来る直前に保育園から連絡があって、まだ小さい長男が発熱したという。それなら早く帰ったほうがいい、こっちはいつでも、そのへんで飲んでいるから、というと、では、来たばかりですみませんが、と、彼女はすぐに帰っていったのだ。幼子の発熱に、気もそぞろになるのは、こちらにも経験がある。一刻も早く帰って、熱で苦しいだろうお子さんに顔を見せ、とにもかくにも安心させてやってほしい……。そんなことを思っていたら、小生の子たちが小さかった頃の、なにやら一生懸命に仕事をしていた時代なんぞも、ふと思い返されて、いいよなあ若いってのは、と昨日に引き続き叫んで、まだ3時だというのに、冷蔵庫からビールを取り出した次第。

4月14日(水) いいよなあ。若ぇってことは!         文責:タケ
 飲み過ぎが続いたからか、なんとなくまっすぐ帰る気になった。こんな日だって、あることはあるのである。すると、午後10時頃か、家の前で、若い男女が話しているところに行き合わせた。通りすぎながらちらりとそっちのほうを見ると、女の子のほうは見知った顔だった。近所に住んでいる娘さんで、小学生の頃から知っている。いつのまにやら大きくなって、ボーイフレンドとひそひそ話を楽しむ年頃になっていた。もう、高校生なのだから、当たり前である。イヨッという具合に眉を上げて微笑むと、こんばんは、とはっきりとした声で挨拶してくれた。何気なしにボーイフレンドのほうを見れば、アゴをちょっと出して「ウス!」みたいな、これも挨拶をしている。ちょっと見はトッポイのに、笑顔はまだ幼い。ふたりとも、明るい、いい表情をしていた。楽しいんだろうな、と思う。家に入ってから家内にそんな話をしながらビールを飲み始め、たびたび彼らのことを思い出し、女の子の小さい頃のことなも思い出し、いいなあ若いってのは、なんてしみじみとした気分になったせいだろう、思いのほか、酒が進んだ。そうして深夜になって、もう寝るかというときに、また、ひと言、いいよなあ若いってのは、と口に出すと、自分でもわかるくらい、言葉の響きが違っていた。酒に酔う前の「いいよなあ」には、まだ子供だとばかり思っていた娘さんがいつの間にかすくすと成長して好きな人もできたのは実に喜ばしいものである、という、どこかこう、懐手をしながらウンウンと頷く余裕が感じられたのだが、酔いが回った後のそれには、ぶっちゃけてしまえば「クソー、うらやましいー!」的気分が満ち満ちているのであった。酔いは人間を正直にするというよ。嫌だねえ、中年になるってことは!

4月13日(火) 二日酔いでつまみ塾               文責:タケ
 ドエライ二日酔いに、目覚めるとすぐガックリうな垂れて、それでも昨日できなかったキャッチフレーズ出しに勤しむ。何も食えず、麦茶を飲むばかりだが、飲めば飲んだで腹が膨れてまたまた気持ち悪い。なんとか昼までに最低限の文言を考えてメールを送り、いざ出陣、目指すは小誌連載『つまみ塾』の瀬尾さんの自宅だ。午後2時開催。おえー、っていう状態だから甚だ不本意というか、瀬尾さんに申し訳ないのだが、当の瀬尾さん「アッ、また二日酔いしてる、はははは」と明るい。こら、ほんとに参ったなと思っていると、瀬尾さん、最初の1品にちょっと工夫をしたお握りを出してくれた(小誌5号をご参照ください)。これをひと口食べたとたん、おやーっ、というくらいに回復した自分を発見、ビールを飲んでみて、いけるじゃないの、となっていき、その後次々に出てくるつまみをみんな食い、焼酎を飲み、日本酒を飲み、夕刻、撮影、取材、試食、すべて完了した段階で、瀬尾さんを飲みに誘い出すまで見事に復調した。吉祥寺でまた飲む。けっこう飲む。割りに丈夫にできてんのね、と自分を納得させながら、自転車置き場へ向かうのだった。

4月12日(月) ボトルがあるのも良し悪しだ          文責:タケ
 二日酔いの重い身体を引きずって仕事場へ出るも、ベンチと呼び慣わしている長椅子に横たわってしばし休息をとる始末。パンフレットのキャッチフレーズがまるで思い浮かばず、ただただ、焦るのみ。夜、吉祥寺の『のろ』に、小誌3号、4号を届ける。先日の高田渡さんインタビューに会場を提供していただいた店だ。二日酔いが夕方まで継続するような状態だったから、生ビールの1、2杯で帰ろうかと思っていたが、店主のKさんが気を使ってくださり、一人で来た小生に、話し相手となる客を紹介してくれる。おまけに、高田渡さんがインタビューの最後に「もう1本入れとけ!」と怒鳴ったから入っている焼酎を、Kさんは出してくれた。ゆっくりやってくれよ。ありがたい。ありがたいのだが、小生、生ビールで参っている状態。というよりまだ、元へ戻っていない状態で、情けないことにこの、普段ならおおいに喜ぶはずのキープボトルの存在が実に重たい。せっかく出していただいたのである。飲まなくては申し訳がない。しかし、どうにもこうにも酒が進まない。こうなったら、無理にでも2、3杯飲んで、元に戻る前のそのまた前の状態に戻してしまう(どうもヤヤコシイよ)しかないと思い決め、本当にそうしたら、3杯目からすんなり入るようになった。店を出て、さらにもう1軒。けれど、このまま調子に乗っていると潰れるなと、久しぶりに恐くなって、早々に引き上げた。

4月11日(日) 西麻布、笑顔を思い出しながら         文責:タケ
 夕方6時。西麻布の某寺で通夜。M君と一緒に焼香をする。これ以上幸福な瞬間はないのではないかと思えるような笑顔の遺影が、胸にこたえた。一緒に仕事をしていた期間はとても短いのだが、忙しいばかりで、営業のようには日の当たらない制作の仕事をしながらも、Nさんは、いつも、どんなときでも、笑っていたような記憶がある。賑やかで、お人よしで、人に対して優しい女性だった。関西の出身である彼女がずっと東京にいたことも、何年も前に病を得ていたことも、なにも知らずにいた自分が、我ながら信じられなかった。裏切り者であるような気がした。しかし、もう、何をしてあげることもできない。終わってしまったことだと、割り切らなくてはいけない。普段は酒を飲まないM君と一緒に飲む。大阪からNさんと親しかったTさんも駆けつけて、夜半まで飲んだ。笑い声が絶えないように昔のバカ話を繰り返し繰り返しするうちに、時間は過ぎた。何杯の酒を飲んだのか、まるで記憶がない。

4月10日(土) 友人の訃報に接し、絶句            文責:タケ
 寝てはおれぬと珍しく早朝から起きあがったのは、一昨日の徹夜が響いて予定の原稿が遅れたからだが、今日は我が家で娘の誕生日を祝う宴を催すことになっていたため、急ぎの仕事を夕方までには終わらせておく必要もあったからである。スープ1杯飲んでせっせと仕事を開始、なんとかうまく納まって、夕方からは誕生日を祝ってもらう娘にとっての祖父母、曾祖母、伯父伯母が勢ぞろいした。簡単なつまみを自らつくって座に供し、ビールを飲み始める。酒についてはかつてめっぽう強かった義父は体調のことがあって以来酒を自粛中であり、やはりかつては相当飲んだ義兄だが、こちらは義父母を送るために運転を買って出ていただいるため、やはり飲めない。女性陣は、我が家内が料理をしながらクピクピと飲む程度。自然、小生は一人飲み続けることになる。無理して飲む必要はないが、飲んで座が盛り上がるというのが、元来好きなのだからしかたがない。午後9時を回る頃には酒もくるくる回ってきて、こうなると運転のため酒を我慢している義兄への遠慮なども吹っ飛び(実は最初から遠慮してない不届き者なのだが)、さあて今夜も本格的に酔っ払っちまおうかなという心持ち、いよいよはしゃぐ気分になってきたのだが、ちょうどそんなとき、電話があって、友人の死を知らされた。若い頃に勤めていた小さな広告会社で、制作の仕事をしていたNさんという女性である。同い年。知らせてくれたMという男は、やはりNさんと同じ制作部門の同僚で、病名や明日の通夜の場所など、必要最低限の情報を口にすると電話を切った。話すべきことは明日、会ってからにしようと約束して。宴が終わり、家族が寝静まってからも、なかなか眠れない。まだ小さなお子さんがいるという、そのことひとつを考えるだけで、頭の奥が冷え冷えとして酔いが回らない。次から次へとウイスキーのグラスを重ねるのに、酔いはついに回らなかった。

4月9日(金) ああ、何たる矛盾                 文責:ナベ
 ダルイ……。久々の独占手記登場だというのに、「ダルイ」としか書けないのは情けない限りだけれど、ダルイんだからしょうがない。言うまでもなく飲みすぎです。昨日は、外出することもなく編集部内でず〜っと仕事。午後8時頃、気が付けば残っているのは僕とY子嬢の2人だけだった。Y子嬢がそんな時間までいるのは珍しいが、聞けば、「明日から本業が忙しくなり、しばらく編集部には来られない」とのこと。「じゃ、レバ刺しでも食いに行くか?」と仕事を放り投げ、「レバ刺し! レバ刺し!」と2人で連呼しながら夜の浅草橋を急いだ。向かうは、毎度おなじみ「西口やきとん」。毎度おなじみのレモンハイ、通称ボールを飲み(Y子嬢は生ビールだけど)、毎度おなじみのやきとんやレバ刺し(安くて旨い)を食べ、毎度おなじみのバカな話をして飲んだ。ただ、「毎度おなじみ」じゃなかったことが一つ。それは、店員たち(全員が男)の態度だ。確かにみんな普段から気のいいアンチャンだし、気さくに声をかけてくれたり、ほっといてくれるときはほっといてくれたり、こちらとしても非常に居心地がよい。が、この日に限っては、その気のよさに加え、いつもとは違うミョーな愛想のよさやミョーな擦り寄りが多々見られた。それはなぜか。すべてはY子嬢のせいである。西口やきとんは男性客、それも明らかに30代以上の客が多い。そんなところに20代半ば女性のY子嬢が来たもんだから、店員たちはもう大喜びって感じで、僕とカメラS氏2人のときはほとんど話さないアンチャンまでがやってきて、Y子嬢に声をかける。「おいおい、ちょっといつもと違うんじゃないの(笑)?」と言うと、「いやいや、そんなことないっすよ」とニヤニヤ。いつのまにかサービスの小皿なんか持って来てたりする。「キミねえ、気持ちはわかるけどさあ。そりゃ、ないよなあ」という、喉元まで上昇してきたツッコミの言葉をボールで押し戻し、僕はただただ酩酊するに止めた。店を出た後、「みなさん、よくしてくれて、ホントいい店ですねえ」とY子嬢。そりゃアンタ、あそこまで歓待してくれりゃあね。でも、気持ちよく飲めるに越したことはないんで、ま、いっか。で、Y子嬢と飲むと上がりが早いので、吉祥寺駅で別れたのが午後11時。S氏と2人で西口やきとんに行ってたら、確実にまだ飲んでる時間である。そりゃ、まだ飲むでしょって感じで、一人でいつもの飲み屋へ。いつものようにノンダクレ、いつものようにズルズルと午前3時の閉店まで。
 そんなわけで、ダルさ抱える金曜日の昼下がりってなわけです。でも、仕事はしないといけないわけで、「今日は絶対飲まないぞ。というより飲めん」と思いながら、黙々とテープ起こしを進めることになった。「黙々と」って言ったって、ダルくて口を開くのも億劫なだけなんだけど、そんなこんなで、気が付けばまた午後8時。今日は背後に一人、S氏が残っていた。すでに仕事を終え、缶ビールなんか飲みながら。こうなるともう、S氏が飲みに行くきっかけを待っているのは明らか。完全なる密着マーク。マン・ツー・マン・ディフェンスである。こっちはまだダルイというのに。ここで「飲みに行こうよ」と声をかけてきてくれれば、「今日はちょっと」と断れるのだけれど、最近のS氏はあまりそういうことはしない。以前、聞いたことがあるが、「この歳になるとよ、飲みに誘って断られると、なんか寂しいんだよな」とのこと。それ以来、我々はS氏のことを「ガラスの50代」と呼んでいるが、そんなわけで、ガラスの50代男は、僕の背後でえんえん、ため息なんかつきながら、缶ビールを一口飲むたびに、プハーッなんて言っているのである。そうなると、こちらも声をかけないといけないのかなんて感じたりなんかして、ついつい発してしまった言葉が、「Sさん、飲みにでも行きますか?」。ああ、何たる矛盾。自ら密着マークに身を委ねてどーする! そして、午後9時すぎ、僕らは近所の中華食堂の客となったわけである。で、レモンハイを飲んでいるうちに、ダルさも消え(錯覚ですね、もちろん)、一杯、一杯、また一杯。一度点いた火は消えることなく、吉祥寺に着いたらまた、昨日の店へ直行。「ああ、土日も仕事なのになあ」てなことはこれっぽっちも頭をよぎらず、今宵もまた、ただただ酩酊する人となりました。

4月8日(木) 早朝の因数分解はカンベンして          文責:タケ
 小誌に広告を出したいという人が東芝EMIにいるという。ウソだろってホントーだ。で、窓口になってくれているカメラのSさんと一緒に東芝EMIへ。すごい会社だね。当たり前か。ところが、このとき、午後であるにも関わらず、小生、ひどく酒が残っていてどうにもならん状態。ロビーへ出てきたお二人が、話し始めるとすぐニヤリと笑ったのは、コイツ、ホントにアホほど飲むンだな、と思ったからだろう。すんません。ともかく、本当に広告を出してくださるというので、これはまた、嬉しいじゃないですか。だから祝酒。ああ本当に、次号が出ないよ、こんなに飲んでいたのでは。でもいいんだよ、飲めば気が大きくなるからって、理由にならんこと考えつつ深酒したのである。深夜帰宅。ああ、疲れた、とっとと寝よう。と思う小生の視線に1枚の紙が飛び込んできた。「明日提出。わからないところがあるので見てください」高校へ入ったばかりの娘の書き置きなのであった。「下さい」とまで言われては、やらねばなるまい。で、問題集を手にとってたじろぐ。数学じゃありませんか! 因数分解。すでに2時。2時なのに因数分解。それにね、言い訳するんじゃないけれど、酔っ払っている。できないかもな。正直、そう思った。が、しかし、娘もそれを見抜いていたか、ちゃんと教科書も置いてある。おお、学べというのかこのオレに! 一瞬ではあるが、バックレて寝ちまう誘惑が頭を掠めた。だが、しかし、やってダメなら結果にこだわる必要はないが、やるだけのことはやるべきだぞよナニゴトも、などど、日頃外では言えないエラソーなことを言っている小生のことである。たとえ無残な結果に終わろうとも、挑むだけは挑んだという痕跡を残さねばなるまい。それでシャワーを浴びてビールを1本、気合を入れて取りかかった。問題集、わかんない。やったことあるんだろうけど、わかんない。きっと当時からわかんなかったんだろうなと呟きつつ教科書で学ぶ。そしたら、書いてあるじゃないの公式みたいのが。そこへぶちこんでいきゃいいのよ簡単よって思えたのはわずかな時間。公式を証明せよってな問題であえなく頓挫。教科書にはそれが書いてあるのだけれど、酒でぶよぶよの我が頭脳に、1カ所だけ、なんでこうなるの! と欽チャンよろしく叫びたい箇所があり、そこがクリアできない。時間は過ぎる。寄っていてアタマはモーロー。こんなとき、時間はどんどん過ぎる。それでも問題に向き合っていたのは、やるだけやったら諦めよ、というにはあまりにも、やれてなかったからに他ならない。ゴソリと音がして我に返ると、そこに娘がいた。時刻は5時。部活の朝練があるから早起きなのだ。いやちょっと困っててねという小生の横に娘はすぐさま座り込み、そこから今度は二人して因数分解に取り組むことに。夜が明けてくる。早朝の因数分解。とりあえず時間切れとなる頃には、他の家族も起き出してきた。徹夜じゃありませんか! もう、カンベンして、というひと言を残して、小生はどーとばかりに倒れ込んだ。

4月7日(水) 1杯しか飲めないのに寄るという……      文責:タケ
 連夜の深酒にもめげずに、いやいや、いよいよ拍車がかかるというか半ばヤケ気味で今夜も飲むよ。Sさん、Wクンと一緒に近くの中華食堂でいつものようにいつもの料理を頼み、いつものレモンサワーをいつものように濃い目につくってもらい、いつものように閉店まで。それでまた、話していることもいつものとおりなのだから、よく通うもんだ。吉祥寺へと帰ってきてからは、「酒とつまみ」を店に置いてくださっている『ファーストサークル』というバーへ。ここがまた居心地のいい酒場で、マスターと競馬の話をするうちにドバドバと飲んだ。ふー、今夜も飲んだねえ! そんな感じで店を出て、駅方面へ戻ってくると、あ、そうだね、もう1軒だよねえ、ということで、Wクンもだいぶ入ってるはずなのに、二人して『ハバナムーン』へ。しかし、もう、いけない状態だった。カウンターの椅子に座って、さて何を飲むかという段階で、小生はビール、Wクンはワインを頼んだのだが、その1杯がなかなか減らない。そうなのだ。もう、今夜は十分、というか、もう飲めないところまで飲んでいたのである。じゃ、なんで寄るのよ。ねえ、なんで? って、わかりません、そんなこと! 一人で切れてどーする、という一夜なのでした。

4月6日(火) 渡さんの楽屋に酒を届ける            文責:タケ
 夕方遅く丸の内に届け物をして、そのままブラブラと有楽町へと歩き、ここまで来たならとコリドー街へ流れていって『ロックフィッシュ』のカウンターへ。まだ6時台だというのに賑わっていて、その心地いい喧騒を肴にハイボールを飲む。なに、気取るンじゃないよ。喧騒ってあんた、わーわー言っているのは小生なのであった。ははは。ゴメンなさいよ。ここで下地を作ってから、さあさあと出かけたのは、飲み屋じゃないよ。新宿の映画館。映画『タカダワル的』がレイトショー上映されている。初日に行こうとして果たせなかった楽屋訪問である。携えていったのは黒糖焼酎。制作会社アルタミラピクチャーズの人と思われる男性に「酒とつまみと申しますが楽屋へご挨拶を」というと、「はいはい」ってすぐ案内してくれた。酒とつまみ、で案内してくれるのは、そこにおわしますのが、あの高田渡さんであるからなのか、単に警備が軽いのか、ようわからんけれども、とにかく楽屋へ通されてドアをあけると、いらっしゃいました。何人もの人が囲むその中央に渡さん、ちょこんと座ってる。その姿、噺家みたいで形がいいよ。見ればもう、飲んでいる。上映後に舞台に出てトークをするのだそうだが、上映前から飲んでいる。当たり前ですよね、そうですよね、と、心強く思う。改めて「酒とつまみです」と名乗ると渡さん、「あっ、酒とつまみ」だって。その「あっ」が「ンな」とも「フニャ」とも聞こえるのだが、なんかいいんだよなあ。「にゃっ、酒とつまみ!」って、いいじゃないですか、他に言葉は不要ですよ。酒を渡して、しばらくご歓談の様子をハタから見ていたけれど、若い人々(そのうちの一人の美人はこの映画の監督だというからまた驚くのだが)に囲まれた渡さん、和やかな、いい表情をしている。あんなふうに飲めるようになるといいなと、つくづく思う。映画も良かった。一度試写で観させてもらっているけれど、あれは何度観てもいい。今回は少し酒も入っているからか、さらに良いような気がした。映画館を出たのは、上映後のトークも見てからだから、11時くらいになっていたか。閉店間際の新宿東口『ロック』で飲みなおす。「角」のオンザロック。ママの世穂子さん、この人の笑顔がまた、いいんだなあ。笑顔のいい人と飲むと、気持ちが楽になる。えらい得をした気分の一夜になった。

4月5日(月) 酒つま納品250冊で祝酒             文責:タケ
 酒とつまみ4号の追加注文50冊を納品。発売から3カ月近く経ってからの追加は嬉しい。季刊雑誌なら次の号がそろそろ店頭に並ぶ頃だが、そんなこたあこの際、忘れてしまうことにする。ほかに、「他言無用ライブ」のプロデューサーの方から、地方公演にも酒つまを持っていって販売してくださるという申し出をいただき、さっそく納品。200冊。嬉しくて嬉しくて、次号の追い込みであることを、この際忘れてしまうことにする。そして、祝酒。仕事場近くの飲み屋でビール、レモンハイ、次々と。うまいよ、うまい。酒つま4号は売れているよと思うたび嬉しさ増して、週のアタマから思わぬ深酒をしてしまったのである。

4月4日(日) カレーを作りながら釣りデビューを決意     文責:タケ
 先週インタビューをしたクライマー・山野井泰史さんの取材テープを聞きながら、酒ばっか飲んでないで山とか川とか、どっか行きてえなあ、とつくづく思う。なにせこちとら趣味がない。超のつく出不精が連日二日酔いをしているのだからしょうがないよなと自分に言い聞かせてみるが、そこでふと、出不精はすぐに治らないとしても、ちょっとばかり酒を控えて飲酒以外の行動を起こせば何かが変わるのだと、強く強く決意した。よし、今日は酒を飲まないぞと。よくあることなのだけれど、まあ、小生の場合、決意は崩壊するためにあるのだから、それはもう、時間の問題ではある。何か別の行動をといっても、すでに昼過ぎ、出かけるには遅過ぎる。半端に出かけると昼から飲むことになりかねないから、外へは出ないことにして、さて、なにをしようか。仕事をしたり本を読んだりしながらときどき考えて、思いついたのがメシのしたく。そうだ、なんか作ろう。手を動かしていれば酒の誘惑は遠のくし、先月から苛まれている眩暈も忘れることができるだろう。近くのスーパーへさっそく出かけて、まずは野菜売り場。鍋か? いやそれではあまりにも能がない。では、と、決めたのがカレーライス。能がない。まあ、いいじゃないのカレーで。一応は調理するわけだし、とかなんとか思いつつ、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンなど籠に入れ、肉売り場でちょっとばかり高い牛肉を手に取る。うほほ、高級ビーフカレーにするのだ、と呟きつつ、ルーは出来合いのものを買う。ルーまで自分で作ろうなどと大それたことは考えない。帰宅してジャガイモ、ニンジンを剥き、切る。タマネギも切る。上等な肉は少し大きめに、やっぱり切る。準備完了。肉には下味をつけて、先に焼いておくことにし、鍋とは別にフライパンを用意、油を敷いて熱くなったところで塩・コショウした肉を投入。色が変わってきたところで、おう、そうだそうだと、おろしニンニクをちょびっと、醤油もちょびっと投入する。すると、ああ、ナンともいえない匂いが立ち込めて、途端にうぐぐぐっとビール飲みたい欲求が沸きあがる。焼けた肉を皿に移してしばし眺める。さあ次は野菜も炒めようぜとアタマではわかっているのだが、肉から目が離れない。左手を斜め後方へ伸ばすならそこは冷蔵庫だ。ああ、もう抗えない。キリンクラシックラガーロング缶。プシュっと、自分で言っている。まったく能がない。ビールをぐびり。焼いた牛肉をひとつまみ。ビールをぐびり、そして肉。あえなく断酒断念。そうなるともう歯止めというものがないわけだから、野菜を炒め、肉を入れ、水を足して煮込むころともなると、冷蔵庫から油揚げを取り出して鍋の横においた網で焼き、焼きつつビール。焼きあがった油揚げを切って七味トウガラシを振り掛けつつぐびり、醤油を垂らしつつぐびり、一切れを口に運んで手を缶に戻すと、もう空なのである。もう1本いってみよう。ってなことで、カレールーを投入するまでの間に油揚げを食べ終わり、同じく冷蔵庫から取り出したタコを切ってワサビ醤油で食いつつ缶ビール2本飲みを完了したのであった。わかったこと。料理では酒に拍車がかかる。で、決意も新た、やっぱ釣りだ。思えば山野井さん取材の後、奥多摩駅前の蕎麦屋でカメラのSさんと決意したのも渓流釣りデビューであった。おーし、絶対、釣りを始めるもんね!

4月3日(土) 使い物にならぬたあオレのことよ        文責:タケ
 永田町の社民党本部が入っているビルのホールで、松崎菊也さん、すわ親治さんが出演する他言無用ライブの公演が予定されていた。午後と夜の2回公演。ロビーで『酒とつまみ』を販売させていただけるので、編集Wクン、カメラSさんといったん「酒つま編集部」に集合してから小誌第4号を持ち込むことにしていた。が、昨夜の逝きかけ状態が響いて響いて、どうもいけません! バスで吉祥寺まで出たのはいいが、駅のトイレで嘔吐。中央線で東へ向かったのはいいが、新宿途中下車、今度は大便。寄り道している間に、編集部へ寄っていたのではライブ会場に入る時間に遅刻してしまいそうだと気付き、Wクンへ電話、永田町へ直行する旨を伝える。駅ビルの地下で楽屋へ届ける酒を物色。ラフロイグにする。へへへ。レジで熨斗をつけてくれと頼む。御名前入れますか、入れます入れます、酒臭い息を吐きながら「酒とつまみ」と入れてちょうだい、え、なんですか? だから「酒とつまみ」とまたまた酒臭い息。店の女の子仰け反っていわく「ゥワップ!」 臭かったであろう、すまんよ、本当に。でも彼女、笑ってる。酒とつまみって、なんだコイツ、と思っておるのでしょうね。当然、当然、それでいいです。なんとかライブ会場に到着。でも酒が抜けない。このままでは売り場に立てない。もうすぐ開場。でも、抜けない。どころか、立ってられない。そこで、販売はWクンとSさんに任せることに。ふたりとも呆れている。小生の二日酔い、夜の部になってもおさまらず、その後、誘っていただいた出演者や制作スタッフの打ち上げに参加しても、なお、おさまらず。飲めない、飲めない。ああ気持ち悪りぃ、という状態のまま散会。どこにも寄らずしょぼくれてまっすぐ帰宅。使い物にならねえたぁ、オレのことよ……。

4月2日(金) 四谷、新宿、吉祥寺、イキます!        文責:タケ
 虫は虫のまま夜を迎え、ようやく半身を起こしてなにやら腹に詰めこんでまた床に這いずった昨夜、ゴロゴロと横転を繰り返しながら寝床へ到達、すぐさま眠ってなんと12時間眠った。朝、破裂しそうな膀胱の痛みにようやく起き上がった勢いで仕事へ出かけ、温泉&這いずり効果であるか、体調すこぶるよく昨日のサボり分を巻き返し、余力があるので編集者のSさんと飲むことに。場所は四谷。けっこう調子よく飲んで、気分よく喋って別れたら、まだ物足りない。一人で新宿へ。「ロック」という酒場で角瓶を飲む。調子よく、飲む。閉店まで飲む。でもまだ、物足りない、ような気がする。よく覚えていない。四谷で何を食ったっけ? そんな記憶もあやしくなっている。中央線最終で吉祥寺。「ハバナムーン」のカウンターについたときは、えーと、今日はここで何軒目? くらいの酔いぶり。ラフロイグを注文した。マスターは、ああ、もう、行きますか、と言う。行きますか、はイキますか、なのか、逝きますか、なのか。間違っても、粋ですね、ではなかろうなどと思ううち、たぶんお代わりの2度3度、タクシー探して井の頭通りをフラフラ渡る小生、文字通り逝きそうなギリギリ状態であった、ことだろう。

4月1日(木) ぐにゃぐにゃ虫と化した午後           文責:タケ
 温泉の楽しみのひとつが深夜の入浴だ。宵の口から飲んでしばらくうつらうつらした後に、ちょっと腹が減るからなのか、普段そのように早い時間から寝ることはないので体が不慣れなのか、夜半によく目が覚める。家族にしろ、そうでないにしろ、同室の人がみな寝静まった後の灯りを消した部屋の中でしばらくぼんやりし、どうやら目が覚めてしまったなという頃合、そっと湯殿へ出かける。誰もいない風呂で何を思うでもなく、ただ湯に浸かり、部屋へ戻ってビールを1本。もう一度蒲団へ戻ると、コトリと眠りに落ちる。そして今度はぐっすり、朝まで目覚めない。そんなふうにして迎えた今朝、6時前からまた入浴。わずか1泊の温泉滞在、できる限り入浴しないともったいない。貧乏性のなせるワザだが、早朝の入浴後には普段はナリを潜めている食欲が猛然とわいてきて、食べる食べる。メシをお代わりする。人のオカズに手をのばす。いつもこれくらい元気だといいのだが、そうなると、肥満に歯止めがかからなくなるというジレンマもある。中年とは厳しいものだ。それはともかく、朝食後すぐに宿を出て、どこにも寄らず帰京することになった。子供の部活が午後からあるという。休めばよかろうにと思うがそうもいかないらしい。それも、良いことだと思う。問題なのは、昨夜、温泉の湯で解れた体を朝からまた解しにかかり、そのうえ、ズボンの腹のボタンを外さなくては苦しいほどに食べた後では、運転が非常にきついということである。渋滞がなければ2時間ほどの短い運転だが、ぐにゃぐにゃのうえに満腹した身体は、運転席のシートにすぐに溶け込もうとする。山の下り坂を右へ左へと走っている間はまだしも、小田原厚木道路に入るといよいよいけない。瞼が自然と閉じてしまいそうになっては大袈裟に背筋を伸ばして意識をはっきりさせることを繰り返す。こんなときはガムより飲み物を喉に流し込むほうが目が覚める、気がする。しかしそれにも限度がある。そうそうは飲めない。気がつけば小生以外の家族全員、ぐっすりと眠り込んでいる。ああ、これだからクルマでの移動は嫌いだ。そんな恨み言をブツブツと呟きながら用賀ICを下りる頃になると、皮肉なことに眠気が消えているではないか。ああ、だからクルマというものは……。帰宅して昼食をとり、そのまま自宅で仕事に取りかかる。しかし温泉の威力というものは大したもので、腹が満たされるや、またもや身体ぐにゃぐにゃの状態になり、少しばかり横になろうと甘えたのが運の尽き、そのまま床を這いずる虫と化してどうにもこうにも起き上がれない。寝転がったまま仕事の資料を読み、メモを作る。寝転がったまま家内が渋々運んでくれた煎餅を齧る、ビールを飲む。こうしていてはいけない、平日の午後、虫になっていてはいけないと自らを叱咤するのだが、ぐにゃぐにゃ身体に注入した昼のビールがまたことのほか効いて、いよいよ起き上がれない。座布団にアタマを乗せようものなら瞬時に睡魔に襲われ、腹這いになって気合を入れなおそうと頑張れるのも、せいぜい5分が限度。今度は横向きになり、はたまた寝返りをうち、その、合間合間を縫ってビールに手を伸ばす。ああ、ロング缶がもはや空ではないか……。眠い、眠い。しかしまだ、もう1本飲んでみたい気もする。家内も子どもも、虫になった小生を見捨てて出かけてしまった。ビールを飲むなら自分で取りにいかなくては……。しかしまだ、起き上がりたくはない。かくなるうえは――。そう、床を這いずりながら、小生は冷蔵庫を目指すのである。


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