■2004年2月1日(日)〜2月16日(月)■

2月16日(月) 八戸で撃沈                    文責:タケ
 睡眠2時間、10時過ぎの新幹線で八戸へ。夕方からの取材に備え、街を探索。ラーメン屋でビールと餃子で脱力してたら、もとより睡眠8時間が最低でも必要な体質のこと、眠くて眠くてどうにもならなくなった。いったんホテルで仮眠。といっても30分ほどで同行者に起こされて、いよいよ仕事だ。バーや寿司屋などを回るが、途中、少しばかりススメられた酒が効いて効いて、これから仕事の後の本番だよというとき、ひとり寂しくリタイアすることに。せっかく行ったのに、八戸のこと、ほとんど覚えていない。

2月15日(日) 追い込まれる、その2              文責:タケ
 昨日とは異なる締め切り。夕方までに終えてゆっくりビールの思惑は見事に肩透かしをくらい、結局、翌朝5時半まで悶絶。ふとんに入ったと思った6時半、某編集さんから電話で「拝読いたしました」だって。今、寝たとこなのに!

2月14日(土) 追い込まれる、その1              文責:タケ
 うーん、起きられないよ。昼過ぎまで、ダラダラと寝そべって、午後から風呂へ入ったり水をカブ飲みしたり、散歩に出てみたりでなんとか回復を試み、夕方から仕事。追い込まれた。刺身をつまんでビールを飲むという夕食の楽しみもわずかに30分だけのこと、深夜まで作業続行。3時に、ひとまず就寝。

2月13日(金) ホロリとくると、酒が進むんだなあ      文責:タケ
 ああ、いけね。締め切りだって焦りまくるも、仕事場へ移動する余裕さえなく、吐き気こらえて書いてます。そう自宅作業。夕方までに締め切りがふたつ。なんとかセーフ。メールを送りつつ着替えて大急ぎで出向いたのが国立。某雑誌の取材で、芸術家にインタビューする。女流だよ。緊張するね。でも、会ってみたら気さくないい方で、むしろ、こちらが緊張をほぐしてもらいながらスムーズに仕事は進み、その女性、取材場所であるバーで飲みながら、ちょっといい話をしてくれた。亡き父君のお話。ぐっときた。ホロリと揺さぶられた。飲まなくては、という気になる。取材の間に立ってくださったもう一人の画家さんも飲む気満々。行くことになる。ガンガンいく。6時間くらい飲んで酔っ払って、ふらふらになって、3人一緒にタクシーに転がり込む。帰る方向が一緒で、本当に助かった。それにしても、国立で飲んだホッピーは格別でした。

2月12日(木) 飲み過ぎてると寒くないね           文責:タケ
 フィリピンパブの疲れから昨日は少しスローダウンして肝臓を休息させた。つもりが、実はけっこう飲んでいて、今日は朝から辛い。こんな日に限って人に会う用事がつまっているもので、次々にこなしつつ、取材先のバーへと突入したのは午後7時。そこから始まったね。延々と、3時まで。長いね。疲れるよ。でもまあ、飲むのが半分仕事みたいなものなので、飲んでいる間は元気。楽しいくらいでね。それに、2月のこととはいえ、酒がばっちり入っていると、明け方に帰宅、なんてことになっても、寒くないからね。ご機嫌ですよ。次の日さえ気にしなきゃ。

2月11日(祝) そこにビールの山があるから          文責:ナベ
 実は前夜、僕も同席していた。つまり合計4人。席順は、テーブルを挟んで向かい合う2つのソファの片方に、奥から主賓K氏、女の子、僕、女の子、対面のソファの奥からS氏、女の子、O氏、女の子ってな具合だった。何しろみな飲んでないので、はたして盛り上がるのか。すべては百戦錬磨のS氏次第と思っていたらやっぱりその通りで、それも思いきりマイナス方向に進んでしまった。結局、S氏好みの女の子が来なかったのである。店内が混んでる関係で入れ替わりがなく、途中、般若顔で文句を言いに行ったS氏の行動はまったく意味をなさなかった。こうなるともうS氏は仏頂面、ため息の連続。時折、隣の女の子と冗談を言い合うものの、やる気なしモードに入ってるのは見え見えだった。で、他の面々はどうしていたのか。飲み始めてわずか10分で隣の女の子が席を立ち、そのまま帰ってこなかったのでずっと一人だったのがO氏。最初は「何だよ、寂しいよ〜」という顔をしていたが、途中から、S氏についた女の子を喜ばせることに専念し、座りながらワケのわからぬ踊りを踊り続けていた。K氏は、やはりまだ酔ってないのが影響したのか、いつもの飲み会での元気な姿は見られずじまい。そして、手持ちぶさただった僕は、隣の女の子に言われるままにずっと手の平をマッサージしてもらっていた。まあ、何にせよ、消化不良の90分。店を出た後K氏が発した「オレ、松屋でメシ食べていきますよ」という寂しげな言葉がすべてを物語っていた。Kさん、ゴメンナサイ。僕も腹が減っていたので、吉祥寺でO氏と別れた後、一人で飲み屋へ。日替わりカレーを食べ、酒を飲み、常連たちとバカ話をして、何とか消化不良を解消した。
 で、本日。午前4時に帰宅したので、起きたのは午後すぎ。布団の上で、ダラダラと起きたり寝たり繰り返していたが、実家に用があり外出しなきゃいけないので、腹ばいになりながら着替えを済ます。実家に着いたのは午後6時頃。家族との挨拶もそこそこにすぐさま台所へ直行した。冷蔵庫を開けると、缶ビールの山。実家の人間は誰も酒を飲まないので、来客用などに補充した缶ビールはほとんど減ることがない。なので、たまに帰ったときに片っ端から飲み干すのが自分の使命と勝手に決めている。入ってるのはスーパードライの350ml。スーパードライは普段進んで飲むほうではないけれどビールはビール。とにかく飲み干すのみ。なぜそんなに飲むのかって? そこにビールの山があるからさ。 ……なんてアホなことを言って家族に呆れられつつ、結局午前2時まで飲み続けた。本数は5本止まり。

2月10日(火) たまには私もフィリピンパブ          文責:タケ
 10日は支払い関係の処理が多くてキツイ1日。てへへへへ、と気の抜けた感じのところへ某出版社の編集さんが訪ねて来て、酒とつまみ発行人としてなんか書けと叱咤激励してくれた。紹介してくれたのは、小誌3、4号に卓球酒エッセイを寄せてくれたライターのKさん。原稿の御礼、編集者紹介の御礼、いろんな意味をこめて同氏をこの夜、フィリピンパブにお誘いした。もちろん小生ひとりではそんな大胆なことはできない。指南役Sさんの計らいによるものである。今回、初の試みとしては、その晩の1軒目で、いきなりフィリピンパブに行くこと。どこかで下地を作るのでもなく、いきなりフィリピン。Sさんには経験があるかもしれないが、小生にとっては初めてのこと。案の定、店に入ってもなんかこう、どうしたらいいのかわからん状態が続いて、けっこうバテた。酔ってないと、なんだか妙に気を使ってしまうもので、なんとかして席についてくれた女性たちに楽しそうな顔をしてもらいたく、なんでだよ、と思いつつ、頑張ってしまう。制限時間90分が終わり、金を払い、すっかりくたびれて電車に乗ったら、その頃になって猛烈に飲みたくなってきた。もう一度戻ろうかと思ったあたりに、小生にも少しばかりのフィリピンパブ通いの才能があるかもしれない。今度、Sさんに聞いてみようと思う。

2月9日(月) Sさん、空港にて沈没               文責:タケ
 取材最終日。暗いうちから起き出して11時まで、あれやこれや。ようやく完了して昼食もとらぬまま熊本空港へ。フライトまで2時間。飲むしかない。ビールと枝豆に、何か1品くらい付いて格安値段という立ち寄りセットみたいなものを頼むが足りるわけがない。すぐさま焼酎になり、馬刺しを頼み、焼酎はお代わり2回、3回。ここへきてSさんの勢いがいい。東京へ帰るばかりとなると、小生はげんなりすることが多いのだが、Sさんはどうやら逆のようだ。誰か待っているのかな。家族かな。へへへ、そうではあるまい。では誰だ? などと思いつつSさんの顔をチラチラ窺っていると、昔、サントリーの広告にあったアンクルトリスみたいに、顔が下から徐々に赤くなっていくようでおもしろい。搭乗口へ向かう頃には、赤銅色の赤味が非常に強くなったような、どこか炎症でも起こしているんじゃないか、というくらいの顔色になっていた。あはは、それは小生もまったく同じ。ふたりして、熊本空港にて沈没。

2月8日(日) 雪を解かす全裸の私                文責:タケ
 取材は続くよ。朝食後に陽が出たので露天風呂の撮影やり直し。その後、車で移動してもう一軒の宿へ。さらに雪深いところだったので、露天風呂の撮影はたいへんだ。カメラをどう構えても雪が写ってしまう。かくなるうえは、雪を解かすしかない。誰がやるのか。小生である。幸いなことに湯はたくさんある。それをぶっかければ雪は解ける。問題なのは、小生はその撮影の、被写体の一部なのである。後姿程度のものだが、誰も入っていない風呂より人が入っていたほうがよろしかろうということで、小生は、いやでも風呂に入らなくてはならない。いやではないのだ。しかし、風呂に入りつつ、周囲の雪も解かすとなると、全裸のまま手桶に汲んだ湯をぶちまけることを続けなくてはならない。気温は低い。ちょっと外に出ていると非常に寒い。それで湯に駆け戻り、しばらく温まるとまた外へ出て湯を撒いて雪を解かす。その繰り返しである。Sさんのファインダーにはオレのケツが見えているのだなと思いながらの雪解かしは、なかなかの苦行であった。とはいえ昨日の宿も今日の宿もたいへんに居心地の良いところで、撮影に追われるSさんには申し訳ないが、雪解かしの苦行から解放された小生は必要なことのメモなぞ取り終えると、なんともゆったりとした気分に浸らせてもらうことになった。また、メシがうまくてね。これも役得。申し訳ない。夕食後は日本酒を飲みながらサッカーU23、日本vsイランの試合を見ているうち、Sさん、あっけなく眠りに落ちた。温泉に来たのに、あまり風呂に入らないSさん、不思議な存在である。お疲れ様です。

2月7日(土) 雪じゃねえの!                  文責:タケ
 9時40分羽田発で空路熊本へ。空港でレンタカーを借り、目指すは杖立温泉。遊びじゃないよ。仕事です。とはいえこちとら記者ですから、現場でたいへんなのはやっぱりカメラマン。同行はSさんだ。びっくりしたね。九州というから春の景色を撮影するには最適と思っていたら、雪。1月末にこの出張が延期になった原因も雪だったが、その後また1回降ってしまったとかで、田んぼなんかあるところへ来ると、もう雪国の景色である。Sさん、がっくり。それでも目当ての宿についてみれば、まあ、なんとか撮影できるかという状況で、仕事はトントンとスムーズに進む。夕方、料理の撮影が終わると、夜の街の取材(?)がないかぎりはフリーになるので、小生などは、ここぞとばかりに風呂に入ってはビールを飲み、好きな本読んでゆっくりさせてもらう。これは役得。それでも夜半には冷えて、何度か目覚めた。Sさんは蒲団をはいで熟睡。お疲れ様です。

2月6日(金) 明日の予定くらい、覚えとこう!        文責:タケ
 午前中から書店さんへ納品。なんと、客注分、1冊。これ、注文があったということだから、絶対に返品がない。すばらしい。うれしい。そこで担当の方に、ぜひ10冊ほど置いていただけないかと調子付いて申し上げると、「いえ、それは結構です」。残念です。午前中にもうひとつ打ち合わせがあって、午後からは仕事場で校了だの、入稿だので、追いまくられた。吉祥寺に着いたのが22時。友人2名を待たせてしまったので勢いよく飲んだら、あっという間に酔っ払い、WからHへ移動したときはけっこうキテル感じ。そこで編集Wクンと遭遇。だんだん飲みが深くなっていく。「タケ、明日休みだろ?」と聞かれて思い出す。朝から熊本だあ! そこでもう1杯!

2月5日(木) ネギはうまいよなあ                文責:タケ
 10時から自宅で仕事開始。仕事場へ出て校正紙を手にし、1月に取材させてもらったお店に出向いてチェックをお願いする。自由が丘、三軒茶屋と、普段は馴染みのないエリアなので少しばかり緊張するのだが、逆に長居をしないから夕方から始めた校正紙配りも宵の口に終わって帰宅。豚キムチがあるというが、それでメシを食ってしまったら酒が入らないからと自らネギを刻む。けっこうな量を、刻む。そう、小誌連載、瀬尾幸子さんのつまみ塾でも、ネギは素材として大活躍している。本日は創刊号掲載の1品「塩ネギ奴」にする。なんて改まって断る必要もない。いつだって、これなのだ。刻みネギに塩振って、ちょっと水が出てくるくらい、ネギがしなしなになってきた頃に一丁の木綿豆腐にどっさりのっけて、ゴマ油をタラーっと垂らす。完成。うれしい。と、そこで、ネギの刻み過ぎに気付いた。大量に余ってる。で、これも、小生にとってはいつものことなのだが、小麦粉を溶いてネギと乾燥サクラエビを投入。でかいフライパンで焼き、醤油と七味トウガラシをたっぷりかけて食う。豚キムもあるから、もう万全。ビールがうまいよ。ネギがうまいよ。

2月4日(水) 海文堂書店初訪問                 文責:タケ
 ホテルでの朝食は願い下げ、とばかりに、取材陣3人で朝からてくてく歩いて市場へ向かう。食堂で朝飯を食うのだ。ねらった通りの飯屋があって、思い思いの小皿、汁物などをテーブルへ運ぶ。同行のMさん、昨夜そうとうに飲んだはずなのに朝から燗酒。さすがですよ。小生は刺身と野菜の煮つけで健康的に丼飯を掻き込む。アサリの味噌汁がうまい。その後、宿泊したところとは別の、昼からやってるホテルのバーで打ち合わせをしながらビールを少し。同行の二人が帰京するので大阪駅で別れ、小生は神戸へ。目指すは『酒とつまみ』にひとかたならぬ応援をしてくださる海文堂書店さん。住所をたよりに歩いていくと、ありましたよ、大きな書店です。Fさんにさっそく挨拶。メールで知らせていただいていたとおり、『文藝春秋』の横にどかっと平積みしてあるところまで、ご案内いただく。恐縮至極。本当に今後ともお願いします、と申し上げて辞去する。その後はさらに神戸の西のほうでもうひとつの仕事を片付け、大阪から新幹線に乗って東京に着いたのが午後11時。有楽町へ引き返し、銀座の佐藤さんのお店に少しだけ顔を出させてもらって長い1日を終えた。

2月3日(火) 亡き夫への短い手紙に涙             文責:タケ
 10時には新幹線に乗って、大阪へ。大阪から西宮へ移動して午後は酒場の取材。その後堂島のホテルへチェックインして、夜は北新地でさらに2軒の取材という予定。同行の編集者と新地へ出かける前にホテルのロビーで待ち合わせしている間、毎日新聞の夕刊を何気なく手に取った。題字下に読者投稿の手紙のコラムがある。65歳の女性が、1年前に亡くなった夫に向けて、お父さん、と語りかける口調で短い手紙を書いている。外食が好きだったお父さん。食べきれないくらいに注文し、子供たちに向かって「おいしいやろ、うまいやろ」と言ってはご機嫌だったお父さん。そんなお父さんがいなくなって、今は孫たちと一緒に外食を楽しんでいますが、お父さんのにぎやかな声が聞けてなくて、とても寂しい……。あまりにしんみりとした話なので、思わず涙がこぼれそうになる。まだ缶ビールの1本も飲んでないというのに、少しばかり酔ったような気分になる。なぜか不思議な勢いがついて、新地での2軒の取材に、妙に力が入った。大阪はおもしろい。これまで何度も感じてきたことを、また思った次第。

2月2日(月) 家で飲みゃ、体も楽だよ             文責:タケ
 ペロンペロンの二日酔い。体も頭もペロンペロン。財布もペロンペロン。こんな日にゃ、働くしかないよ。そうに決まってる。二日酔いというものは寝てるといつまでも治らないけれど、働くと、いつのまにか抜けているし、薄くなった財布をなんとかするにも、やっぱり働かなくてはいけないよ。だから、頑張る。当然だけど、頑張る。そして夕刻。そろそろ缶ビールの1本でもというくらいに体調、精神状態ともに回復してくるとき、偶然のことながら自宅近くへ用事ができた。仕事の用事、行かなくちゃならない。で、行くわけですね。用を足す。で、終わってしまうと家がすぐ近く。歩いて帰れる。だから、とぼとぼ歩きかけて、やっぱりというか当然というか、近くには近くの、たまに行く店というものがあるから、そこでビール。にんにく揚げ。冷奴。ビールは大瓶1本まで、あとはレモンハイを1杯と思いつつやっぱりというか当然というか2杯飲んで、店を出た。本当に家まで歩いて帰る。寒いのがまた、良い。帰宅したら、おでんの用意がしてあった。といっても小生のために用意したというよりは、家族で食べて残ったらあの酔っ払いに食べさせればよいという程度のものだが、おでんはおでん。30分ほど歩いて小腹が減ったところでもあり、冷えた体を温めるにも具合がよく、熱燗2本。明日は寝坊ができないからと、とっとと寝る。家で飲みゃ、体も財布も、楽なんだよねえ、今さらながら。

2月1日(日) 浅草・上野、昼から4軒、いや5軒!       文責:タケ
 午後2時集合。場所は浅草、神谷バー。小誌をご愛読いただいている方々と飲む、というより、お知り合い同士がたまたま『酒とつまみ』を知っているという飲み会へ、小生とカメラのSさんが飛び入り参加させていただいた形。集まった6人は生ビールに始まってすぐにデンキブランへと移行し、さすがですね、みなさんバカスカ飲んで、店のウエイターも呆れ顔。しまいにゃ、デンキブランを別々に持ってくるのが面倒になったか、ピッチャーで持ってきたよ。デンキブランのピッチャー、あはははは! あんなの初めて見たね。明るいうちに浅草のお店をさらに2軒ハシゴして、そこへ暗くなってから追い掛けて参加してくる方もいて、もう、ナニを食って、ナニを話しているのか、まるでわからなくなったけれど、あるタイミングから後は、女はいい
よなあ、いや、やっぱり女でしょう、そうだなあ、女ってものは本当に、いいよなあ〜、みたいな話を延々していたような気がする。最後は上野のそば屋、冷えたヤツで締める。男ばっか7人。ああ、飲み過ぎだあ。それは同行のSさんも同じ。お開きとなって、さて電車へ乗るか、乗らずか? という一瞬のタイミング。Sさんはニヤリと笑う。そうだ、パブである。フィリピンパブである。おうおうっ、ついてこい!って顔をしている。そこで入ったお店で、Sさん、さっきまでヘロヘロだったのが一気に回復。ひたすら元気になって横についた女性と話し込む。いや、話をしているのか本当に。知らん、もう知らん。小生はそこでの90分をなんとか持ちこたえて、Sさんと別れるや新宿へ向かったのである。ああ、飲み過ぎだよ、と誰にともなく呟きながら。


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