■2004年1月17日(土)〜1月31日(土)■

1月31日(土) キャシー・ベイツって!            文責:タケ
 ド二日酔い。ヘロヘロ。なんとか朝飯を詰めこんでアメリカンスクールへ向かう。この学校が催す水泳の招待試合に、我が長女が出場するのだ。入り口で、出場選手の父兄ですがと言うと(日本語で押しとおすのだ)、免許証の提示を求められ、駐車場へと招じ入れられる。警備はいちおう厳重なんである。中は、アメリカだ。建物の作りもサイズも、もちろん生徒もアメリカ。多摩墓地の隣りなのにアメリカだ。売店で売っているケーキのサイズが異様にデカイ。自販機で売っているカップ麺のサイズがデカイ。さすがジョージ・ブッシュの国だ。とりあえずデカイ。こんなところで本当に試合しているのかと訝りながらプールへ行くと、本当に試合してた。しかも我が娘、外人さん(さん付けするこたあないのだが)となんか喋ってたりする。おお、あいつ、英語ができるのか。今度、教えてもらおう、と思う。いつまでもアメリカにいるとポテ腹が太鼓腹になりそうな気がして早々に辞去し、目指すは深大寺。そばを食うのだ。ビールに天ぷら、おでんを頼んでビール。締めはオロシそば。うまいよ。寒いけどちょっと散歩して、帰る。また、ビール。『アバウトシュミット』という映画をビデオで観る。「ジャックニコルソン、すごいねっ」って、自画自賛するときの小泉首相の口ぶりじゃないが、ひとまずそう言いたくなる。役作りのためと思われるが、あの太りぶり、立派。あとね。映画の後半に登場するキャシー・ベイツ。瞬間だけどすごい裸体をご披露いただいて、いや、あの思い切りぶりには参った。さすがジョージ・ブッシュの国。怯むとナメラレルって思ってンのかな。彼女が映画の中で、うまそうにマンハッタンなんか飲むもんだから、こっちもついウイスキー。なんか、忙しいひと月だったと思いつつ、入眠した次第。

1月30日(金) Mさんとちゃんこで復活            文責:タケ
 朝飯を作ったのはカミサンだった。昨夜、ジャガイモ・ベーコン・ニンニク炒めをつまみつつ飲んでいたら意外なほど飲んでしまって、結局起きられず。ナニが家事は楽し、だ! 『海人』というノンフィクションを発表した小林照幸さんにインタビュー。小生よりも年齢は下だが、数々の名作を著してきた作家。人柄も穏やかで、とても楽しい仕事になった。夜は『酒とつまみ』の印刷製本をお願いしている大日本印刷のMさんと飲む。場所は我らが地元浅草橋のちゃんこ成山。塩ちゃんこと味噌ちゃんこ、両方頼んでバシバシ飲む。Mさんの飲みップリには常に圧倒されるが、これでようやく、本当に元気が出た感じ。ようやく落ち込みから脱却できた喜びで、その後吉祥寺で激しく飲んでしまった。

1月29日(木) 家事は楽し!                   文責:タケ
 カミサン、具合悪し。そこで自宅作業。ひと仕事終えると洗濯、もうひと仕事の途中で昼飯、掃除はカンベンしてもらって、さらにもうひと仕事のヒントを得んとばかりに買物に出かけ、今夜はすんませんカレーでお願いします、ということで簡単に夕食準備。具合が悪いのにカレーはないだろ、と思い直して、雑炊を作ろう、ならばいっそ鍋にしてしまおうと、ちょいとばかり寄せ鍋も用意する。ぱぱっと食べて、残ったスープで雑炊。どうだ、これで文句あるまい? って、威張るこたあない。不思議なことに、雑事、いや、家事をしていると気持ちが晴れて、なんかもう、大丈夫な気がしてくる。カミサンもきっとすぐに良くなるだろうと楽観的になれる。簡単で、自分勝手な人間である。でもそれでいいのだ、気分が晴れりゃあ、と思えば久しぶりに腹が減る感覚も蘇り、深夜、ジャガイモとベーコンとニンニクを炒めて醤油でちょっと味を付け、皿に持ったホクホクのつまみの横に大瓶のビールを置く。おお、なんか、元気になってきた。明日の朝も、ばっちり朝飯作っちゃうもんね!

1月28日(水) 陰陰滅滅、ダイジョブか?           文責:タケ
 昼から難しい打ち合わせがあって緊張しまくり、がっくり疲れる。昨夜元気になったと思ったらもうこのザマ。『酒とつまみ』の校了あたりまで元気だったのが、校了後に一度がたっとくたびれて、納品・営業の頃に再びカラ元気が出るのも束の間、それが過ぎると陰陰滅滅、ちょっとしたウツになる。飲みつづけている風邪薬、喘息の発作予防薬の影響もあるのか、なんかもう寝ちゃいたい気分、にしばしば襲われる。そんなときは寝るに限るということで、今夜もとっとと帰宅して、ビールでも飲んで早寝しようと思っていたら、カミサンの具合もよろしくない。なんだかなあ〜などと気楽に思えないのが陰陰滅滅の辛いところ。ああ、我らは貧窮のさなかにあえなく潰え去るのか……。深夜目覚めたときの妄想はイヤだね。だからまた少しばかり飲む。目が冴えちゃうとやっかいだが、幸いなことに、ストンと酔っ払った。

1月27日(火) 頭フラフラ、それでも少し           文責:タケ
 引き続き自宅作業。薬が効きすぎるのか、頭がフラフラして、どうにもならん。急ぎの仕事はひとまず片付いたものの、それ以後立ちあがれず、グタグタしていると、小学生の娘が帰宅して、なにやら急いで仕度をしている。スイミングクラブの日なのだとか。おお娘よガンバレ、オトウチャンも後から見に行くからなと言うと、やめろやめろ絶対来るなときつく言い返すので、そこまで言うなら絶対に行ってやると思ってフラフラなのに本当に出かけた。曇ったガラス窓に仕切られた観覧スペースから覗くと、おお、いたいた。いつの間にと思うほど上達していて、4種目しっかり泳いでいる。しかもほとんど休みなしで次々に25mプールの往復を繰り返している。この時間、この場所にいるはずのない年恰好の男が、小学生の泳ぐ姿を食い入るように見ている姿はハタから見れば変質者に違いないが、子供たちがプリプリと水を弾く魚のように泳ぐのを見ているうちに、フラフラしていた頭がやっとはっきりしてきた。帰宅して娘と一緒に風呂に入り、メシを食い、ビールを飲む。ようやくという感じで、ビールがスイスイ胃袋に流れ落ちていく。こんな日は早寝に限る。仰臥して本を開くと、まもなく眠ってしまった。

1月26日(月) 体調ボロボロ、それでも少し          文責:タケ
 2、3日前からいよいよ喘息かという状況に陥り、発作に脅えつつ薬を飲んでごまかしごまかし、九州出張が延期になってほっとひと息つくも、今度はインフルエンザを疑わせる発熱と背筋の痙攣するような痛みで呆然自失。そんなときに限って仕事の締め切りもあるという切ない週末を過ごし、午前10時にようやく起きて最初にしたことは、医者へ行くこと。週末は耳鼻科、本日は内科である。インフルエンザの簡易テストの結果はシロ。喘息の薬と併用してもいい薬をもらって家に帰り、仕事場へは出ずに締め切りを延ばしてもらった仕事に取りかかる。そんなときに限って、昨日の仕事のやり直し指示がメールで飛んで来たりもして、情けなさのあまりインスタントラーメンを作る手も鈍りまくり。伸びたラーメンすすって滅入りつつ、なんとか仕事。晩飯もイマイチ食べられず、それでも酒は飲む。缶ビール、ロング。腹具合も悪いからそのまま垂れ流す感じで深夜まで。

1月25日(日) デジより天気                   文責:サイ
 本日からの熊本温泉取材が延期になった。現場は雪が降っている。取材先は山の上で、チェーンが必要らしい。春号なのに、まったくついてない、雪じゃお手上げである。ど〜しようもない。この連載でコンビを組んでいるO氏、実は嵐を呼ぶ男!として業界でも一目置かれている。春の遠野の駅前で雪を降らせたり、季節はずれの台風を呼び、川沿いの露天風呂を水没させたり、そのパワーはカメラマン泣かせ!である。そんな訳で、本日もベランダです。「デジたるなんかぶっとばせ〜〜!」っと叫びつつ、やっぱ最低630万画素は必要だわな〜、と、解ったような事をつぶやきながら容量350万画素の栓を抜くのであった。

1月24日(土) デジたるナノ〜?                文責:サイ
 うぅぅぅ〜ん、デジたる〜、なの〜?…。ベランダで悩む。恵比寿ビールを片手に空を見上げる。とりあえず1本いっとくか〜!…。栓を抜いたら恵比寿の泡が目の前に広がった。それはゆっくりとスローモーションで、一つ一つの細かなきれいな泡はどんよりした曇り空にユックリと溶け込んでいった。ふと、缶の容量表示を見たら350万画素って見えた、…。うぅぅぅ〜ん。

1月23日(金) でじたるッテカ〜?               文責:サイ
 本日、車使用で都内2か所で撮影有り。1件目会社紹介のWEBの仕事。デジカメの方が制作上スムーズらしいが、なんせ俺はまだ銀塩世代。デジタルで銀塩のディテールが表現出来る訳が無い!といいつつ、世の中の波はジワジワと俺におおいかぶさって来る、「サイさん、そろそろ変えないと、えらい事になりまっせ!」なんて言う編集者がいる。かといえば、2件目の撮影での編集人は「やっぱり、銀塩でしょ!」なんて言っちゃってるし、ムムム〜、って感じで悩みながらノンアルコールで帰宅。

1月22日(木) 名古屋日帰り、麻布で4時まで         文責:タケ
 名古屋日帰り仕事。21時、某編集者と西麻布で打ち合わせ。取材する店の下見なども兼ねていたので、少しばかり飲んで話す。その後、帰るか、もう少し飲むか、判断の難しい時間帯に店を出たからか、ちょっと腹に何か入れないかという話になってもう一軒。ここがまたいい店で、うまいつまみと焼酎を挟んで、徐々に仕事モードから単なる飲みモードに移行していき、結局のところ帰宅4時。うーむ、これでは体がもたない! とか思いつつ、寝る前に缶ビール1本。

1月21日(水) 大宮、川越、日野、吉祥寺           文責:タケ
 午後から名古屋へ移動する予定が1日延びて、本日もまた納品なり。書店さんは大宮と川越、取材したお店への掲載誌の届けは日野。この3カ所を回るコース、どうしたものか。ひとまず大宮へ向かう。ジュンク堂に4号を持ち込むと、女性のスタッフがスタスタと近寄ってきて、あ、これ、出たんですね、定期が2冊あるんです、もらっていきますよ、と言って届けたばかりの4号を持って行った。出たら連絡をくれ、と注文している読者さんが、この店にはふたりもいるのだ! この一件で、連日の深酒の影響も吹っ飛び、軽い足取りで向かったのが川越。3号発売の後に飛び込み営業をして、ちょっと多いかなと思うくらいの冊数を委託で引きうけてくれた旭屋川越店である。なんと、20冊近くが販売されていて、思いのほか調子が良いとのお話。4号もばっちり納品できて、嬉しい限り。駅前のラーメン屋で生ビール、ザーサイ、生ビール、ラーメンと一気に胃袋に納め、さて次は日野だと思って大胆にもさらに西へ向かうルートを選択した。川越線で高麗川へ出て、そこから八王子と高崎を結ぶ八高線に乗り換え、八王子から中央線で日野へと回り込むのである。これが、また、遠かった。一度新宿まで戻ってから中央特快で向かったほうがむしろ早かったのではないかと疑われるほどに、時間がかかった。日野の「一番鳥」に到着したのが22時。掲載誌を渡し、しばらく飲んで、ふたたび中央線に乗り、吉祥寺へと帰りついたのは24時頃だろうか。明日は名古屋と思いつつも、こうなると、「ハバナムーン」に寄ることになる。何を飲んだか、覚えていない。メモもない。ということは、飲んだそのときの記憶がないということ。ただひとつ覚えているのは、帰宅が3時だったことだけだ。すぐに家に帰れる、と思ったときからが、ヤバイんです。このお店ではボロボロの酔態を何度も何度もお見せしている。もう来るなとはまだ言われていないから通うけど、もう来るなと言われたら、泣く。

1月20日(火) 3時から飲むなっての!            文責:タケ
 二日酔いをものともせず、渋谷へ納品。3号、ちょっとばかり余ってしまったが、4号と抱き合わせて再度販売にトライしてくれるという(泣)。嬉しさあまって、神保町へと移動。書肆アクセス、三省堂と回って、堆く積み上げていただいている第4号の姿を、木の影で飛雄馬を見守る明子よろしく、棚の影から眺めやるのである。おお、売れている……。そんなもん、ちゃんと数を数えなければ分かるわけもないのに、まるで自分に言い聞かせるかのように、売れている、はずだ、と思い込む。どうですか、と、ちゃんと聞いて、うーん、今回ちょっと鈍いね、なんて言われたら精神に異常を来すであろうこと必至であるから声はかけない。営業が好きというわりに、肝っ玉は驚くほど小さいのである。神保町からお堀端を日比谷方面へ歩き、銀座の書店へと回る。ここも、3号、4号、一緒に置いてくださっている。棚の影から様子を伺う。見れば、我らが酒とつまみを目の前にして、どの雑誌を手に取ったものかと思案している風の男性がいる。それ、それです、その真っ白い表紙の、それを取って下さい、お安くなってます、たとえつまんなくても、後悔も少ないお値段です、買ってちょうだい! と、棚の影の小生は心中で叫んでいる。すると、その男性、スーッと手を伸ばしたではないか! ああ、もう見てらンない。小生はそこを立ち去るのである。きっと、買ってくれた、買ったのは我らが『酒とつまみ』だ、と思いつつ立ち去るのである。最後まで見届けて、本当に買っていただけたのであれば喜びもひとしお、抱きしめて御礼を言いたいところだが、そこが小生の肝っ玉である。情けないが、肝っ玉は頑張ったところでなかなか大きくなるものではないという事実は、我が40年の人生の、最大の痛恨事でもある。こうして、何も見届けない売上調査をすることに、いったいどれほどの意味があるのか。そんなことは分からない。ない、といわれれば、すんません、と答える。そんなことを考えながらコリドー街へと出ると、嗚呼そこは、午後3時から店を開けているRのある通りではないか。時刻は3時5分。開店したばかりだ。小生は迷わずRを目指す。昼日中からウイスキーを飲むほどの肝っ玉はない。そもそも、そんなことができるほど酒に強くもない。財布の中身だって、自慢じゃないが、非常に厳しい。だのに、だのに、行くのだ。その理由は、ちょっとばかり早い時刻に行って少しばかり目立ちたいというスケベ心。それ以外にはない。そこまで分かっていても行くのだ。1杯だけ飲んで帰ろうと、極小の肝っ玉がささやくのだ。で、どうなるか。5杯飲みである。肝っ玉はアルコールに弱いのである。大きくなった気分になるのである。そうして、ようやく日が暮れて顔の赤さも気にならなくなる頃には、もう一軒顔を出すのである。気がついたときには、下りに乗ったはずの丸の内線が、上り電車となって再び銀座を目指しているのだった。駅は四谷。荻窪まで行って、そのまま戻って、なんと四谷! しかも、駅はまだ、混雑していた。3時から飲むなよ! と天に唾する。

1月19日(月) 阿佐ヶ谷、高尾、戻って西荻窪         文責:タケ
 腕立て伏せの効果か、朝から上半身に充実感あり(ウソ。ちょっと筋肉が張っている感じがするだけだが、全身のたるみに悩まされる今日この頃、少しばかりの張りはけっこう嬉しかったりするのだ)。午前中の用事をきびきび片付けて仕事場到着後は第4号のファックス営業。まず電話をかけて雑誌担当者のお名前を伺い、その人あてに、4号の内容をまとめたA4判のチラシのコピーと、他の書店さんでの過去の販売冊数などを正直にまとめたペーパーをファックスするのだ。福岡、広島、仙台、大阪のお店に送る。こうした営業はバカにしたものではなくて、担当者によっては興味をもっていただけることも少なくない。本当は飛び込み営業をして、実際にお会いして売り込みをかけたいところだが、なにせ、こちらには金がない。だから、電話とファックス。失礼ながら、今のところ、それしか方法がないのだ。もちろん近いところは自ら納品する。地方へのファックス営業の後には、阿佐ヶ谷に納品、その足で、ホッピーマラソン最終回でご協力をいただいたお店をまわる。宵の口に高尾に到着して4号を届けつつ美人の女将さんが切り盛りする店でホッピーを飲む。また、ホッピー。いいじゃないの、それで。取材でお邪魔したとき、ヘロヘロになるまで酔っ払ったが、「あの日、大丈夫でした? だいぶ飲んでたでしょう」なんて、ちゃんと覚えていてくれるものだから、また調子が出る。スコンスコンと(どういう意味?)飲んで、それで今夜はお仕舞いかって、まだまだよ。高尾から引き返してきて目指すは西荻窪。ホッピーマラソン一人打ち上げを敢行した「ちょろ」さんの暖簾を潜るのだ。「いらっしゃいオータケさん」といつものように温かく声をかけていただく。それでまた調子が出る。とはいえ、ちょっとばかり限界も近づきつつあって、スコンスコンとは飲めず、スコ、スコぐらいでグロッキー。なんか、最近、あんまり飲めないのよね、なんぞと呟きつつ退散したのだった。

1月18日(日) 体調回復、深夜の腕立て伏せ          文責:タケ
 昼頃までグダグダと寝て、体調回復。子供たち、それぞれの用事で出かけていて手持ち無沙汰。私鉄の駅まで散歩をして本屋を覗き、見つけたのが「海人」という1冊。沖縄の漁師を追ったノンフィクションである。喫茶店でコーヒーでも飲みつつ読むかと思いながら店を出たが、向かったのは中華屋さんだった。昨日、まともにものを食ってないから、けっこう腹が減るのである。注文はもやしソバとビール。「海人」が、おもしろい。9歳で漁師の見習いに出された少年が、今は70代の老漁師となって毎日海に出ている。その一代記として読むと、これが、たいへんに魅力的な話であって、ムクムクと魚食いたい欲求が沸いてくるのだが、それ以上に、漁師という仕事への憧れの気分が膨らんでくる。沖縄の海に出て魚や貝を取るのは命がけだ。その仕事を70年近くにわたって続け、海と魚と漁を熟知しているジイさん……。太い、いい腕をしているんだろうな、などと思いつつ帰宅後も夢中で読む。タラチリとアジのタタキで酒を飲み、飲みつつ、読む。おれも、太い腕が欲しい! 深夜、小生は久しぶりに腕立て伏せを敢行した。たちまちにして息が上がり、額に汗まで浮いてきたので洗面所へ顔を洗いにいくと、鏡に映った小生の両目は、酔眼を通り越して真っ赤ッ赤なのであった。危ないよね、こういうの、と、その顔に問い掛ける。見下ろせば、突き出た腹が、ただただ恨めしい。

1月17日(土) ロマンスカーでビールも飲めず         文責:タケ
 朝はまだ調子がいい。目覚めてすぐに温泉につかり、うまいアジの開きで飯もしっかり食べられる。食後、ロビーでコーヒーを飲む。ぜんぜん平気。しかし、これはまだ残酔状態が続いているだけのこと。宿を出てしばらくすると怪しくなってきた。外は伊東には珍しい雪でもある。どうにもこうにも、力が出ない。二日酔いの始まりだ。土曜日でもあるし、伊東のあれこれを見て周り、夕方になってから帰京する心積もりだったが、どうにもならない。帰京後は小誌連載「のんだくれ紀行」のライターである山内さんに4号をまとめてお届けしつつ出版祝飲み会をする予定だったが、どう頑張ってもその気になれない。時間が経過すれば二日酔いなどいくらでも回復するはずなのに、今日という今日はいかん、という情けない状態に陥ってしまった。そこで、帰京後の予定をいったんキャンセルさせてもらい、小田原から小田急線で近道をしつつ帰宅することにした。タラタラと移動している間に回復すればそのまま新宿まで乗って都内へ戻ってもいいという腹積もりもあった。しかし、やはり今日ばかりはどうにもならなかった。小田急ロマンスカーというのは好きな列車のひとつで、距離は短いけれど、ちょっとした旅行気分を味わいながら缶ビールの1、2本を飲むというのを、この列車に乗るときの最大の楽しみにしているのだが、ペットボトルのお茶を飲むのも面倒なくらいで、完璧にへたり込んでいるうちに町田に着いてしまった。やむなくここで急行に乗り換えて帰ることにした。帰宅後も調子は戻らず、気がつけば少しばかり息が苦しい。正月前後から兆候の見られた喘息が、いよいよか、という感じなっている。以前にもらってあった薬を服用する。はしゃぎ過ぎの天罰か。


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