■2003年11月17日(月)〜11月30日(日)■

11月30日(日) 休日は泳ぐのだ! その2          文責:タケ
 朝から仕事。こんなとき、平日の夜に飲み過ぎていることを少しばかり後悔する。しかし、仕方がない。平日の夜飲んでいる分、週末に溜まった仕事に追われるのは、ここ10年来の慣わしでもある。ンで、仕事。昼メシも食わずにシコシコ仕事。なんとか夕方には目処がついて、さあて飲むか! というタイミングで考えた。昨日、プールへ行って手痛い目にあっている。今日こそはまともに泳ごうではないか。幸い昨夜はベロベロになるまで飲んでないから、息も続くかもしれない。そう思ってチャリンコを駆りプールへと急ぐ。ところが、またもや泳げない。どうしてしまったんだ、オレの体は! そう叫びたいほどのヘタリ具合で、200mも泳ぐと、早々に上がってしまった。昨日、吐きそうになった洗面台に近づき、鏡を覗いて驚愕した。右目の白目の部分が強烈に充血しているのである。これはどこかの血管が切れたかと、ソートーに不安になって帰宅し、しばしビールも飲まずにビクついていた。1時間もすると、やや充血がおさまってきたのでビールを1本。それを空けるとまた鏡を覗いて様子を伺う。まだ、大丈夫だ……。そんなことを繰り返すこと3度。おさまりかけた充血と、ビールからウイスキーに切り替えた酔眼との区別がつかないことにようやく気付き、それならばと腰を据えて飲むことに。まあ、200mは泳げたのだしと自らを慰めながら。

11月29日(土) 休日は泳ぐのだ! その1          文責:タケ
 おお。なんとも久しぶりの、仕事のない休日である。遊ぶのだ。遊ぶのだ。好きなことをやるのだ。と思うものの、さて何をするかといえば、二日酔いが癒えるのを待って夕方からビール、という、いつものなりゆきが見え見えであった。そこで、遅すぎる朝食、いや昼食の時刻をも越えた朝食をしたためつつ、休日満喫のための、常とは異なるプランを模索した。かねてよりポテ腹をなんとかしなくてはいけないというミッションを自らに与えた小生である。思いついたのはジョギング、腕立て、腹筋、縄跳び、などなど。全身の毛穴から汗が噴き出して、イヤな感じの酒精が抜け、さらに脂肪も燃え、かつて、かなりなスマートだった(25年前の話だ)頃の肉体に戻る。よし、これだ。本日は肉体を鍛えるための偉大なる1日なのだと決意し、立ちあがろうとして、よろけた。無理だ。どう考えても走れない。そう思うや、腕立ても腹筋も縄跳びも、やれば即座になんらかの発作に襲われ、あえなく他界ということになりかねないとひたすら心配。なにせ、もとから心配性なのだ。そして最後の、窮余の一策として思い浮かんだのがプールである。プカプカ浮いているだけなら足腰の弱った小生にも可能だし、弱った心肺機能にも優しいだろうと考えた。そこで、屋内プールへ。しかし、泳げない。水中を歩けばいいのだが、「歩く専用」コースは、いかにも年かさの男女がいるばかりであって、齢40の小生、実年齢が仮に還暦であるにしても、そのコースに入ることを自らに許容することはできない。だから、「往復ダラダラいつまでも泳いでろコース」に入ることになる。ここだって、けっこうご年輩の方々が、いかにもダラダラと泳いでいるのである。昔、中学対抗の水泳大会に学校代表のリレー選手として出場したこともある小生にとって、オヤジサン、ちょっと、もっと速く泳いでよ、という具合なのだ。しかし、しかし、である。25mプールを軽やかに一往復し、休んでいる人を尻目に颯爽と二往復目に入った小生の心肺機能は75mのターンの頃には限界に達していた。泳ぎはたちまちヘロヘロ。ダラダラ泳ぎオッサンにさえ抜かれそうな具合となってようやく100m泳ぎきったときには息はゼーゼーなのであった。小生は周囲に分からぬように涼しい顔をして(できてなかったと思うが)プールサイドに上がり、息を整えにかかった。するとそのとき、こらえようもないほど猛烈な吐き気に襲われた。目を洗い、口をすすぐための流し台へと向かう。なんとか吐かずに済んだものの、鏡に映った我が肉体。ズタズタに崩壊した色白の肉体に、なんと競泳用のパンツ! たるんだ肉がパンツのヒモの結び目あたりを覆っている! おおおおおお! もう、イヤだ!

11月28日(金) パック酒、焼きとん、男なら        文責:タケ
 みうらじゅんさんの圧倒的なパワーに引きずられるようにして、昨夜はへたり気味の体に飲みたい気分が漲った。集団的インタビューの後に新宿のRというバーで角瓶のロックをしこたま飲んで、さらに地元でもう1軒というなりゆきなのだった。その結果として当然の、極度の二日酔いに見舞われた。体中から酒精が噴き出している。ああ気持ちわりぃと言いつつ仕事場に顔を出すと、どの顔も、ああ気持ちわりぃ、なのである。が、ただひとり、編集Wクンだけは白衣を着てテキパキとした身のこなし。おお、さては本日が、各界から絶賛をもって迎えられた小誌名物連載『思いつき研究レポート』のための、偉大なる実験の日であるのか! 果たしてそうなのであった。彼はどこで購入したのか大量のパック酒を卓上に並べ、今まさに偉大なる実験に取り掛かろうとしていた。実験の内容は、たとえばストローの口を開けたパック酒をひとつずつ倒しては、中身の酒がいかほど漏れ出るかをスポイトで吸い上げては計測するというような、実に緻密、実に原始的そしてこの世のすべての、手元が怪しくなった酒飲みの実用に供する試みなのであった。ああWクン、キミはすばらしい! 驚くべきアホタレ頭を持った上にその勇猛果敢な実行力。と感嘆する間もなく実験は進む。パック酒を倒してみたところで、こぼれ出る酒の量など同じようなもんだろ、などと思うなかれよ。実に微妙に、漏れ出る酒の量は異なるのである。おお! ここでWクンが発したひと言を、今後末永く脳裏に留めていただきたい。
「ほーらみろ! 実験しなきゃわかんねぇってんだよ!!」
 小生は、このヒト言に、『酒とつまみ』第4号の成功を確信し、いそいそと自らの食い扶持を稼ぐ仕事に戻ったのである。そして夜。小誌をひとかたならぬ熱心さで応援してくれるM女史がやってきた。カメラのSさんと小生はM女史を立ち飲みの焼きとん屋へご案内する。すると、おお、そこには実験終了後に某編集者と打ち合せに出たはずのWクンが、某氏と肩を並べて飲んでいるのであった。我々は、常に、焼きとん屋に行くのである。M女史、絶品のレバ刺しに感激しつつガンガン飲んで少々酔った。あなたたち、女にもできる仕事をしていてはいけないよ。男なら男にしかできないことをしなさい、ウイ、そーでしょ! ウーム。男にしかできない仕事といえば女を喜ばすことよ……、と、Sさんが思ったかどうかは今となっては定かではない。定かではないがたぶんそんなとこだったと思う。なにせ小生がそう思ったのだから。そんなアホタレぶりにとことん嫌気がさしたかM女史は帰っていった。ちょっと心配な足取りで。その後はWクンと某氏のふたりと合流、「シャッター閉めるから、なんだったら中で飲んでよ」という、なんとも逞しいひと声がかかるまで、飲みつづけたのである。

11月27日(木) エロとともに新宿の夜は更ける      文責:サイトウ
 午後3時から某女性誌でスポーツライターインタビューが成城で。これが思った以上に時間がかかりあせる。6時半から新宿でみうらじゅんさんと飲みがある。どんな人かな〜?あまり知らない。吉田照美の「おれに言わせろ!」のみうらじゅんしか知らない。静かなしゃべりでぽろっとオモロい事言ってたな〜。ぐらいであった。事務所にあった宣伝会議のみうらじゅん特集号を少し読んだ。どうやらエロ好きらしい。気が合うかも、と現場に向かう。担当編集者を引きつれ御本人登場、少し遅れて御見えになる。7時の乾杯からスタートして2時間半!怒濤のサービス精神!しゃべっりぱなし!めちゃくちゃオモロい!そしてやはり、やはりエロであった!しかもいい人だ。俺のデブ好きを初対面で解ってくれた人はみうらさんが初めてです。本当にアリガトウ御座います(4号参照して下さい)。そして俺は火が付いた!そうでなくてもエロなのにそこにまた火が付いたのである。めらめらと燃える火はとどまる所を知らない!エロの油が止めどなくわきでて来て、火は大きくなるばかりである。とんでもない夜になってしまった。でぶ好きばんざ〜い!エロ!最高〜!…。であと8日…。

11月26日(水) 仙台日帰り、金欠ゆえに            文責:タケ
 仙台。本日は某作家のインタビュー。仙台市郊外のご自宅で面白い話を聞き、取材の成功に気を良くした小生は、仙台周辺での宿泊を企んだ。市内のホテルに部屋をとって盛り場をうろつくか、あるいは仙山線で作並温泉まで行って一泊か。ここには少しばかり古びているけれど嫌味のない温泉ホテルがあることを知っている。さて、どうするか。ひとまず仙台駅へと向かいながら気がついた。金が、なかった。なにカードがあるじゃないかと自分に言い聞かせるも、このところやたらと飲んでいて、現金がないとカードに頼るということを繰り返してきた。12月、1月あたりの支払いが、そら恐ろしくなってきた頃合でもある。盛り場の灯りも、温泉の湯煙も消えた。オレには金がないんだと口に出してみるといっそう淋しく、帰りの新幹線に乗るときには、土産の笹カマボコを買う気力さえ失っていたのだった。では飲まないかといえば、そんなこたあない。むしろ逆で、暴力的に飲みたくなる。しかも安く、安く。2時間程度の新幹線移動なら、いつもビールとピーナッツくらいがちょうどいいのだが、なにしろ金がないという悲しい想念に打ちのめされているから、ビールは日本酒と缶入りウイスキーに、ピーナッツはたったひと袋のサキイカに変更されたのであった。へへ。これで十分だ。うまいじゃないの。それにしても缶入りウイスキーはいただけないね。まあ、酔えりゃいいか。もう1本、買っときゃ良かったかな……。酔った。大宮駅でホームにいる人と目が合ったとき、イヨッとばかりに笑いかけていた。

11月25日(火) モルトの匂いにやられた            文責:タケ
 2日間自宅で過ごした翌朝というのに見事な二日酔い。参った、参りましたと呟きつつ都内某所のバーへと向かう。もう飲むのかって、そうではなくて、仕事なのだ。小説家とバーテンダーの対談が午後1時からあって、小生はそれをテープに録音するという悲しくも重要な役割を担っているのである。話題はシングルモルトウイスキー。作家もバーテンダーもスコットランドの蒸溜所を巡った経験があるから、話はとてもリアルで、羨ましいやら嫉ましいやら、気分を弄ばれているうちに猛烈に飲みたくなってきた。カウンターには、ある種のシングルモルトに特有の、煙ったような薬臭いような香りも漂っている。ああ、もう、辛抱タマラン! 対談終了は午後4時ごろであったが、終わるや否や蕎麦屋でビール。小一時間の後、早くから開けているバーに移動して、どうやらこのまま沈没かという予感というか悪寒というか、妙な感じで2杯、3杯と、モルトウイスキーを飲んじまうのであった。

11月24日(月) 支離滅裂の酔っ払い原稿だあ!        文責:タケ
 休日のため自宅でホッピーマラソンの原稿を継続。ロクにメモも取らずにただ飲むばかりのホッピーマラソンだから、実は細かいところ、忘れていたりする。それを思い出すために少しアルコールを入れる。不思議なことに少し飲むと、店にいた誰かのひと言を思いだし、引きずられるようにして店の匂いなんかが蘇ってくる。そんな気がするだけかもしれない。ともかく、飲んで過ごした連夜の出来事を飲んで思い出すのであるから、文脈は支離滅裂、何を書いているのか分からないお喋り原稿になってしまう。でも、これでいいのだ。そう言い聞かせつつ終点高尾までをともかく書き終えると、すでにけっこう酔っ払っているのだった。ビールからウイスキーに切り替えて3〜4時間経過しているのだから、いくらチビチビ飲んだとはいえ酔って当たり前だ。蒲団にひっくり返ってボー然としながら思う。もう、ホッピーを飲むまい。

11月23日(祝) 飲んで思い出すあの店この店         文責:タケ
 午後になってようやく起き出して、さっそくホッピーマラソン最終回の原稿に着手する。だが、飲んで歩いたあの店この店を思い出すのは、二日酔いで悲鳴を上げている胃袋にはコクなことで、「ウェーッ!」とばかりに吐きそうになること、しばしばなのである。夕方になってようやくビールを1本。これで少し持ち直し、夜には調子が出て原稿が進んだ。平日はホッピーを飲みまくり、週末にはホッピーの原稿を書く。オレ、何してんのか。

11月22日(土) 府中で惨敗、ホッピー完走          文責:タケ
 府中競馬場でやられる。最終レースまで頑張る気力も失せて八王子へ。下見しておいた店の客となる。アタリ、だった。残すは終点高尾のみ。なのだが、実は高尾の店については事前に取材を済ませていた。ということは八王子の取材完了をもってホッピーマラソンはひとまず完走なのである。しかし最後の最後だ。やはり高尾の地を踏みたい。ということで高尾へ移動してそば屋で休息。というかけっこう飲んで、その後もう1軒。ここでは焼酎。店を出たのは早い時刻だったが完全な酔っ払いで、東京行き中央線の三鷹駅で降りるつもりが、また乗りこし。とにもかくにもホッピーマラソンを完走した安堵感もあって、もう1杯飲もうと思うのだが、もう、飲めない。もう、目がよく見えない。すれ違う人の顔もぼんやりとしていて、ニタニタ笑っているのか、それとも泣いているのか、とにかくフツウの表情ではない。ぐにゃぐにゃと輪郭がぼやけ、なんともゲージツ的な顔をしている、ように見える。いくらなんでも、飲み過ぎだ。

11月21日(金) 神保町のあまみで昼食             文責:タケ
 神保町すずらん通りの一本裏手の通りにある定食屋「あまみ」で天ぷら定食の昼メシ。安くてうまくてボリュームもあり、しかも揚げたて。20代の頃から昼時に神保町を通りかかるときはたびたび寄らせてもらった店だが、店の壁に、29日をもって閉店という知らせがあった。19日には銀座のバー「クール」が閉店したばかり。オーナーバーテンダーの古川さんは長くカウンターに立ち続け、88歳の誕生日をもって引退した。容姿も会話も、酒を作る姿も、群を抜いて洒落ていた人の引退はとても淋しい出来事だった。小生などは、仕事がらみで3度ばかり店に行ったことのある程度だから、閉店の日に出かけて懐かしんだり惜しんだりする資格なしと勝手に思い決めて、とうとう「クール」へは行かず仕舞いだった。「あまみ」の最終日には来ることができるか。そんなことを思いつつ天ぷらを揚げるオヤジさんを見る。最初にこの店に来た頃と比べると、ずいぶん歳をとられた。食べおさめ。酒の1本もつけたくなった。夕方から再び多摩。ホッピーマラソンも大詰めで、八王子を下見に留めて西八王子の店を開拓した。思いのほか賑やかな夜になって、気分良く千鳥足。

11月20日(木) 昨日をひたすら反省して多摩へ        文責:タケ
 箱根の宿で朝食をとり、小田原経由で都内の仕事場へ。昼メシ抜きで黙々と働く。『酒とつまみ4号』はすでに追い込み状態に突入しており、原稿を依頼した諸先生から続々と原稿が送られてきているのに、スタッフの原稿が例によって遅れまくっている。とくに小生の遅れがひどい。昨夜のなりゆきをひたすら反省し、夕方から中央線ホッピーマラソンの続きを走る。場所は豊田。幸運にもいい店が見つかって楽しい2時間を過ごす。帰宅するとちょっとばかり疲れが出て、何も食べる気がしない。それなのにウイスキーだけはするする入るという危うい状態となって、結局夜半まで。

11月19日(水) 下り電車の魅力に負けた            文責:タケ
 小田原に用があって朝から出かけ、片付いたのが午後2時頃。仕事場へ引き返すつもりで駅へと戻ったが、なぜか下りの電車に、どうしても乗りたくなった。上りと下りとどっちが好きか。断然、下りである。家に帰るにしろ家から遠ざかるにしろ、下り電車に乗っているときの気分というのは、子供の頃の遠足に近い。それにひきかえ上り電車の場合は、家から遠ざかる、つまり仕事場へ向かう車中ではしばしば腹痛に襲われるし、家に近づく、つまり帰途においては、帰って来ちまったという暗い気分に包まれる。それで、下り電車に乗った。目的地を箱根と決める。溜まっている仕事を片付けようとしたからこその選択だった。箱根湯本近くの温泉旅館に部屋をとり、夕食までにまずはひと仕事と座卓に向かった。いや、待てよ。その前に風呂だ、気分転換だと思い直して浴場へ向かい、気分転換しすぎて部屋へ戻れば自然のなりゆきでビールに手が伸びる。うまい。ちょっと本でも読もうかと、広縁に置かれた炬燵に足を入れて横になる。すると、これまた自然のなりゆきとして、すぐに眠たくなってきた。
「お食事、ご用意させていただきます」
 仲居さんの声で目が覚めると、すでに6時を回っていた。こうなってしまうと、一度崩れた姿勢をたて直すのは困難で、食事に熱燗を2本つけてもらい、食後にはまた風呂、浴後にビール1本を飲むと、もう目を開けていることができない。えーい、かくなる上は3時間ほど熟睡した後に深夜ガバと起きて、はっきりとした頭で仕事に取り掛かろうではないか、と決めて、さっさと眠りに落ちた。半ば予想していたことではあるけれど、目覚めると午前6時。たっぷり8時間眠ってなお、わがウスラバカ頭は、はっきりしないのだった。そしてまた入浴。浴後にビール。

11月18日(火) 柿の葉寿司との遭遇              文責:ナベ
 第4号の入稿日は来月17日。入稿日はその2カ月半くらい前に決めていて「なんだ、まだまだ余裕じゃん」などと言ってるうちに、ついに1カ月を切ってしまった。まだ酔客万来のインタビューも終わってないし、研究レポートなどもろもろの取材に着手していない。連載陣の方々からいただいた原稿を徐々にページにしたりしているものの、我々の原稿が載るページはほとんど埋まっていない。スタッフの怠け癖は今さら治しようがないが、それにしても、これまでで最も遅いペースだ。学習効果まるでなし! 「そろそろヤバイなあ。こりゃ気合い入れてくか!」と、昨夜、浅草橋という名の橋を渡るとき屋形船を眺めながら一人心に誓ったけれど、迎えた今日の僕はというと、某誌の取材で滋賀県草津へ日帰り出張。まったく矛盾してますね、ハイ。急遽決まった取材で、個人的に好きなジャンルの取材ということ、すでにアポとりが済んでるのでとにかくテープレコーダー片手に取材場所に向かえばいいという気楽さもあり、二つ返事で引き受けてしまった。これからの第4号の作業を考えれば自分で自分の首を絞めること間違いなしとはいえ、この際もっと自分の首を真綿で絞めちゃえ、てな感じで新幹線に乗り込んだ。
 で、午後6時頃から草津駅前のホテルの一室で取材開始。午後7時半には撮影を含めた取材が無事終了した。草津駅から京都駅へ出て、帰りの新幹線に乗る前に30分ほど時間があったので、編集者、カメラマン、カメラアシスタントの方々は駅構内でお土産などを探してしばし自由行動。僕もお土産を軽く買ったが、もっと求めていたのが生ビール。なかなか見つからずウロウロしていたらホームで発見。取材後の充実感に浸りつつグビリグビリ。いやあ、旨い。「この一杯のために仕事してんだよな」などとベタなセリフを心の中で叫ぶ。その後8時半頃出発の新幹線に乗り込み、編集の方にいただいた柿の葉寿司と缶ビールをご馳走になる。柿の葉寿司は、すし飯に鯖や鮭などの切り身を乗せて柿の葉で包んだモノ。初めての体験だ。一つ目を半分ほどパクつく。「なるほど、こういう味なのか、旨いじゃないか」と咀嚼していると、通路を挟んだ3人席の左端に座り、同じく柿の葉寿司を食べていたカメラアシスタント君がこちらをチラリと見た、ような気がした。初対面ということもあり「うん? 何だ?」と気さくに聞ける感じではないので、こちらも彼をチラリと見るだけにとどめた。で、驚いた。彼と彼の右隣に座るカメラマン氏は柿の葉をちゃんと剥いてから食べているではないか! そんなの当たり前なのだろうけど、僕は何も考えず柿の葉ごと食べていたのだ。おお、なるほど、そういうことだったのか。「旨いじゃないか」なんて感じてる場合じゃなかったんだね、ホント。でも、悔しいので「こんな食べ方もあるのだよ」と胸を張り、アシスタント君を横目に見ながら残り半分をそのまま食べた。まったく意味なし。考えてみると、僕は食の好き嫌いがないと同時に、食に対するこだわりもない。「何々を食べるならどこそこの店で」とか「何々なら、どこそこ産のモノじゃなきゃダメだよね」とか、そんなことはまるで考えない。目の前に食べ物があれば「旨い」と言って食べるし、なければ何も食べない。ただ、それだけ。要は無頓着なんだろうなあ。そういえば、柿の葉寿司じゃないけど、ピスタチオを初めて食べたときも、殻ごと噛み砕いて驚かれたことがあったっけ。「ピスタチオって、老人には不向きだね」なんて思いながら……。アホです。そりゃ、つまみ塾の瀬尾さんにいつも呆れられるわけです。……などとボーッと考えているうちに、午後11時頃、東京駅に到着。中央線に乗り換えて家路に着いた。

11月17日(月) おおお! なんで大雪!?            文責:タケ
 奥鬼怒川の温泉取材のため、午前7時にはカメラのSさんと仕事場で落ち合い、東北自動車道を急ぎ北上。午前中のうちに到着し、ちゃっちゃと仕事をこなしたならば夕食後のオフの時間に湯と酒を堪能しようという目論見だった。が、日光の山を越える頃には細かいながら雪がちらちらと舞ってきた。凍結した路面が午前9時を過ぎようというのに溶けてない。怖い、もうイヤだ。ともかく目的地まで行こうと頑張るのだが、奥鬼怒の未舗装道路を登る頃になるともう立派な降雪。風も出て、大袈裟だけど、吹雪くという感じ。うそだろ、うそじゃねえです、とか言い合いながらSさんと小生はようやく目的地へ到着。ここで我々は、紅葉はすでに無理でもせめて晩秋の風情だけは撮影しなければならなかったのだが、露天風呂を囲む木々の枝はまことに美しい雪化粧なんでございました! 宿のご主人も笑っちまって、また来年だなあ、なんて仰る。どうにもしょうがないから取材予定をすべてキャンセル。ノーマルタイヤで帰れるうちにと、トンボ帰りと相成った次第。
予定は2泊3日だった。ようやく見つけた3日間のスケジュール。それが、完璧な空白となった。毎日、現場に出てナンボというフリー稼業、懐にも響く。なんとも言えない気分で再び日光の山を越える。するとそのき、Sさんが呟いた。
「3日も空いちゃったねえ、へへへへ。タケちゃん、どこ行こうか」
 仕事関係者にはこの3日間は東京にいないことを伝えてある。奥さんにも当然、そう伝えてあるだろう。こんなときのSさんは、地球ゴマのごとき速さで思考を回転させる。背後に巨大な盛り場を控えた温泉街における、まだかいてもいない旅先の恥のあれこれを今から想像するのか、ときおり、クククク、なんて笑っているのである。小生はといえば、仕事場まで行く時間を加えて早朝からたっぷり6時間、運転のしっぱなし。やる気が出ない。はやく帰って車を降りて、早々に飲みに出たい。しかしSさんは、
「うーん、どこに泊まろっか? 2泊あるねえ」
 日光霧降高原の凍てつく路上にSさんと撮影機材を置き去りにするという誘惑は、しばらくの間、小生の頭を離れなかった。ということで、まったく飲めずの9時間ドライブ。フ・ホンイだ!


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