■2003年12月1日(月)〜12月16日(火)■

12月16日(火) 三省堂から予約注文入る! ……が!    文責:タケ
 神田の三省堂から4号はいつ出るか、という電話があったのは昨日のこと。入稿前のボロボロ状態だったが、1月中旬にはなんとか、と答えてしまう。こちらとしては精一杯の見栄を張って答えたのだけれど、返事は、あ、年内出ないんですね、というひと言。落胆していると、ということはあと1カ月あるわけだから3号をもう少しいただいておきましょうか、ということになって嬉しい限りの展開に。しかも、4号は何冊にしようかという話につながっていって、前回の数字なんぞをモゾモゾ言っていると、じゃ100で行きましょう、とおっしゃる。いや、こらまた嬉しい限り。でもって、なんとしても17日に入稿しなくてはと、さらなるプレッシャーがかかってきた。ということで本日も、自分の分の最後の原稿の進み行きを睨みつつ、主にゲラを読んでいく。どうしてこう仕事が遅いのだろうと我ながら嫌になるが、やたらと時間がかかる。飲み過ぎで、もとからバカなところに拍車がかかっているのかもしれない。なにしろ、一度読んだところをもう一度読むと、どこかに誤りが見つかるのだ。それで、なかなか先へ進めない。ビールなんぞ飲んじまったらさらに進まない。誰か、ゲラ読み能力に長けた方、手を貸してくれませぬかと弱音も出る。しかし、もう遅い。人に頼む余裕さえ、もうないのだ。Wクンは、毎日なんらかの原稿を入稿している。受け取るデザインのIさんの忙しさたるや半端じゃない。ひとり、自らの担当分を終えたSさんだけが、余裕でゲラを読んでいる。写真が本職だからゲラ読みには不慣れのはずなのだが、このSさんはよく、誤りを発見する。これさあ、ちょっとおかしいと思うんだよな、とSさんが言う部分を見れば、ちょっとどころではない間違いだったりする。それでまた、焦る。なぜか、ビールが進む。そして、また仕事が遅れる。そして今夜もまた、深夜となって、いよいよ明日入稿という差し迫った気分に包まれる。前回同様、泊まり込み覚悟だったが、なんとか帰れそうなので終電間近に事務所を出る。険しい、非常に険しい表情のWクンを置き去りにして。内緒ですが、吉祥寺で少し飲んじまった。すまん、Wクン。

12月15日(月) 昼寝主義はしばしお休み            文責:ナベ
 もう大詰めも大詰め。もはや言い訳は許されない。平日は編集部の面々がいるので、土曜日のように机に突っ伏すこともできない。僕は普段から“編集部・一人スペイン化計画”と銘打ち、午後3時頃になると机に突っ伏してシエスタを実行しヨダレを垂らしている昼寝主義者だけれど、さすがに今はできそうにない。そんなことしてたら、無防備な延髄にキックが飛んでくるかもしれない。おお、コワ……。だから、やはり今日も原稿書き。睡魔と格闘しながら原稿書き。で、午後11時すぎに本日の予定原稿が終了。ついに自分の担当分が残り1本となった。あとは、入稿日の昼くらいまでに書き上げさえすれば終わる。ほっと一安心して編集部を後にし、午前0時頃吉祥寺駅着。駅前でラーメンを食べて帰る。しかしまあ、このところ健康も何もない食生活だね、ホント。

12月14日(日) そして今日も浅草橋              文責:ナベ
 土日など関係なく、本日も編集部へ。思えば、酒とつまみ第4号やその他の仕事もろもろがあった関係で、この2〜3カ月まったく休んでいない。正確に言えば、編集部内で休んでるに等しい状況も多いのだが、毎日浅草橋へ足を運んでいる。まあ、社員ではないし、フリーランスとして勝手気ままにやっているので別に苦にはならないものの、そろそろ土日に、飲んで騒いだり、競馬場へ行ったり、サッカーボールを蹴ったりしたいのが本音だ。でも、土日出勤は今日でようやく最後、のはず。だから原稿書きに集中するのみ。昨日のように酔って集中力をなくすのを避けるべく、冷蔵庫の缶ビールに見向きもせずパソコンに向かった。おまけに、テレビの競馬中継を観てたら(このときだけは仕事に集中できず)、編集部に来る途中にWINS後楽園で買った朝日杯(G1)の単勝馬券が見事的中。個人的には馬券で儲けたときが一番嬉しいので、おお、流れが向いてきたぞとご機嫌になり、原稿もはかどった。で、目処が立ったところで午後11時すぎに退散し、吉祥寺駅前の行きつけの松屋でカレーを食べて帰る。

12月13日(土) ガソリン注入もほどほどに……        文責:ナベ
 編集部へ着いたのが午後2時。起きたのが午前11時過ぎなのだから、それはもう当たり前だ。体がダルイのも、午前4時前まで飲んでたのだから当たり前。だけど、入稿日が迫っているので、ボーッとした頭にビシビシと見えない鞭を打ち、とにもかくにも原稿書き。途中、缶ビールを開け、体内にガソリンを注入。それが功を奏したのか、一気に勢いに乗って突っ走る。よし、もっと飛ばすぞと、1本、1本、また1本。が、飲み過ぎたのか、あっさりとペースダウン。すっかり仕事をやる気が失せ、机に突っ伏す人となる。ダメだね、ホント。午後11時半頃、吉祥寺駅に到着。駅前でラーメンを食べて帰る。

12月12日(金) Iさん、ゴメンナサイ             文責:ナベ
 あっと言う間に入稿まであと5日。このところ1日1本くらいのペースで原稿を書き上げ、それを隣の席のデザインI氏に渡し、レイアウトしてもらう日々が続いている。I氏にしてみれば、「もっと早くやっとけよ」というのが本音だろうが、ハイペースでどんどんゲラを出力してくれるので本当に有り難い限り。僕とO氏がいつもズルズルと原稿書きを遅らせているので、その割を食うのはいつも原稿を待っているI氏。毎回「次号こそは何とか」とそのときは誓うのだけれど、まったく学習効果がないというか、そもそもアルコール漬けの脳味噌じゃ学習能力がないのかもしれない。Iさん、ゴメンナサイ。で、午後11時まで仕事をして編集部を出る。午後11時45分頃、吉祥寺駅近くの飲み屋へ。「明日も仕事だから、夕飯と酒をパパッと胃の中に入れたらすぐに帰ろう」と心に誓って飲んでいたものの、午前2時から店内のテレビでサッカーのワールドユースの試合が生放送されるというではないか。そりゃ、観るに決まってるだろ。とワケもなく心の中で叫び、尻に極太の根っこが生える。結局、日本代表がブラジル代表に完敗する姿を見届けてから帰宅。時計を見ると午前4時すぎ。ああ、明日というか今日も仕事だっていうのに……。ああ、またやってしまった……。天井を見上げながら、Iさん、ゴメンナサイ、と再び呟き就寝。

12月11日(木) 初の講演、謝礼は全部飲む!         文責:タケ
 神奈川県の某専門学校で講演、というか講義というか、とにかく何か喋れというので45分ハーフの前後半、トータル90分間、喋ってきた。聴衆は、卒業を控えたメディア関係学科の学生さんが20名ほど。アガリ性の小生のこと、ドエライ緊張は見るも無残で、控え室にいる頃から汗が噴き出すあり様。ウイスキーのポケット瓶を携行してこなかったことを心底後悔し、かくなる上は常時カバンに入れている安定剤の一粒を飲み下してから教室へ向かうべしと心を決めた。昔、医者からもらったごく軽い薬だが、極度の緊張時には気休めになる。が、それを飲もうと決めた瞬間、「そろそろお時間です」と声がかかって教室へ連れていかれた。もう、しょーがない。だから、喋った。出版社への就職に至るまでの学生時代の悪戦苦闘に始まり、せっかく入ったその会社をすぐに辞めてしまう生意気千万な当時の信条、求人広告営業マンとして経験したバブルとその崩壊、フリーライターになってから今日までの仕事と金のやりくり、人間関係、いろいろと勢いに任せて喋った。後半の最後の15分ほどは、『酒とつまみ』創刊から今までの話を、ミニコミ雑誌編集のおもしろさという観点から喋った。一生懸命、喋った。ジョークも織り交ぜた。しかし、誰も笑わないし、ウンでもスンでもない。わずかな反応を示す学生さんが2、3人いる程度。眠っちまう人も少なくて、大部分はひたすらメモを取っている。だから、話は聞いてくれているはずなのだが、反応がない。小生は、慄然とし、やがて悲しくなった。90分の話を終えると、学生さんたち、そそくさと荷物をまとめにかかる。質問もない。その雑誌、どこで買えるんですか、と聞いてくれる人は一人もいない。小生は、泣きながら教室を出た。いや、おもしろいお話でした、と、その学校の先生は、控え室に戻った小生を慰めたが、小生の落胆は隠せなかった。ひとつだけ嬉しかったのは、謝礼がその場で現金払いだったことだ。2万円だった。あんな下らない話をして、学生も無感動で、それで2万円ももらっちゃ悪い気もしたが、都内へと戻る電車を待ちながら、もらったばかりの1万円を封筒から出してビールを買い、車中でグビグビと飲みはじめた頃には気分がコロリと変わっていた。おーし、もらった金は、今夜、全部、飲んじまうんだかんね!

12月10日(水) 終電間際、中華屋のレモンハイ        文責:タケ
 おおーッ! と大袈裟に驚いて、入稿まであと1週間であることを自らのアルコールひたひた脳に急報した朝まだき、身支度を整える間に2度も蹴躓く狼狽ぶりは、なにまだまだ余裕よと鷹揚に構えていた小生担当作業の進み具合が危機的状況に陥ったがためのこと。やばい。その一念でバス停へ走っては吐きそうになり、電車の中でゲラ(校正刷り)を読むわけにもいかないからひたすらイライラし、ようやく仕事場へと辿りつけば、気ばかり急いてゲラ読みに集中できない。なにしろ、まだ書き終えてないページがたくさんあるのだ。しかし、すでにゲラ状態になっている紙の束もやっつけなくてはならない。ギリギリの入稿分を進めながら修正も進めていかなくては、1週間後の入稿がオジャンになる。ああ! 焦る。焦る。焦りまくって昼飯の弁当も常のごとくおいしく感じられない。悲惨だ。悲惨だがゲラを読まなくてはならない。そんな、慌てふためきの1日は、午後11時になってひとまず終結した。Wクン、Sさんと、駅近くの中華屋さんへ。中華屋というのはなんともヘンな言い方だが、中華料理店と呼ぶほどでなく、かといってラーメン屋にはない一品料理もあるし、酒もいろいろ揃っている。そういうところを今はひとまず中華屋さんと呼ぶことにして、中国人の青年ふたりに矢継ぎ早な注文を浴びせる。もう、ラストオーダーの時刻が迫っているのだ。ギョーザ、五目ヤキソバ、ザーサイ、ホイコーローなんぞで大急ぎの生ビール。5分と経たずにお代わり。せっかく遅くまで飲まずに仕事をしてきたのだから、こんな晩こそ酒を抜く絶好のチャンスなのだが、誰もそれを考えない。早く飲まないと閉店になってしまう、それだけを思いながらひたすら飲む。3杯目からレモンハイ。でっかいグラスのレモンハイを、またもや大急ぎで飲む。食べ物のラストオーダーからほどなくして、「飲み物もラストよ」と青年から声がかかった。なぬ! と叫んだSさん、必殺技を繰り出した。「じゃね、レモンハイ、6個」 12時閉店。我々はけっこう酔った。

12月9日(火) お疲れホッピー、孤独の宴           文責:タケ
 みうらじゅんさんに参加していただいた押し掛けインタビューの起こしにかかるが、なかなか進まない。なにしろ言葉が多い。ほぼ2時間の録音だが、フツウの人の倍は喋ってる。つまり4時間分という勘定。しかも、話のどれもが抱腹話なので、部分的に割愛して全体の量を整えるのが非常に難しい。おまけに、テープを聞きながらも爆笑させられてしまうので、作業は本当に進まない。入稿間近というのにこれではどうしようもないのだが、他に打つ手もなく、ひたすらテープを聞き、起こし、笑い、悩む1日なのだった。夜は西荻窪。ホッピーマラソン完走記念・お疲れさんの宴、を開催するためだったが、出席者は小生ひとり。スタッフはみんな忙しくてそれどころじゃない。つまり宴じゃない。ただ、飲むだけなのだ。しかも、しばらくは飲むまいと誓ったホッピーを飲む。完走を祝うのだから当然だが、少しばかり久しぶりのホッピーがまた不思議にうまくて、ついつい「中身のお代わりピッチ」が上がってしまう。常連サンたちも、ここでひと息ついてから家へ帰るときの、温和な、いい表情をしている。串モノを焼く手を休めて、大将がときどき話しかけてくれる。最近は忙しいの? ま、ボツボツで。忙しいのがいちばんだよ。でも疲れますよ。ぜいたく言っちゃいけない、こんなご時世に……。まったくだな。毎日仕事があって、夜、少し飲めるだけの金はギリギリで持っている。ぜいたく言っちゃいけない。これでヒマにでもなろうものなら明るいうちからのヤケ酒になるのは見え見えだ。ぜいたくを言ってはいかんのよ……。ホッピーの外を追加する。冷えてきたね、と大将が呟くように言ったとき、こちらの腹の中はほどよく温まって、なんともいい気分だった。

12月8日(月) 大阪日帰りハイボールな1日          文責:タケ
 朝から大阪。しかも南のほうで、もう少し行くと奈良県というあたりだろうか。午後2時からの仕事に間に合わせるため9時東京発の新幹線に乗らなければならないという、ちょっとやってられないくらい遠い大阪なのだった。で、仕事が終わり、阿倍野で同行者と別れると午後4時。ジャンジャン横丁かと思ったが、あそこへ行くと小生の場合は長くなる。明日も午前中から東京で予定があるから今夜はなんとしても帰らなくてはならない。そこで、地下鉄でちょこっと移動して、難波の老舗バーのカウンターに到着。大阪へ行けば5回に4回は寄る店で、酒がうまい、落ち着ける、もてなしが温かいと何拍子も揃っている。早くから飲んでいる常連さんたちの耳に柔らく響く大阪弁に耳を傾けながら和んでいると、1杯か2杯で帰ろうという気持ちが脆くも崩れ去って、3杯、4杯。結局、2時間ほどで、ギムレット1杯と、ダブルサイズのハイボール4杯を飲んで再び地下鉄へ。新大阪駅ではもうヘロヘロ。車中ではひたすら眠った。ケータイがブルブル震えたので目覚めるとすでに新横浜近くまで来ていた。おお、よく寝た、と伸びをしていたら電話を取りそこなったので、まだ眠い目をこすりながら伝言を聞くと、Wクンである。有楽町で飲んでいる。おお、それでは行かねばなるまい。ということで21時40分に東京駅に到着し、すぐさま山手線で有楽町。駅前でWクン、Sさんに合流して一路コリドー街のRへ。この時間、3人では入店が難しいかと思われたが、2人が座れて1人が立ち飲みという状態で10分もすると、もうひとつ席が空いて、いよいよ腰を落ち着ける形に。もちろん、ここでは角のハイボール。もちろん、ダブルサイズ。きりきりと引き締まった液体を我ら3人は次々に流し込む。そろそろ終電というタイミングで席を立ち、Sさんは帰路につき、小生とWクンはさらに吉祥寺のHへ。もう飲めん状態なのに、大ぶりなタンブラーにラフロイグのソーダ割りをもらって締めにかかる。こうなると、飲めてしまうのだ、不思議なことに。それでお代わり。まだ飲むというWクン(すごいよカレは!)を残して店を出ると、電柱の側で蹲りかけた。しかし、ぐっとこらえて身を起こす。よっしゃー、とワケのわからないひと言が出た。

12月7日(日) 50最初のベランダ酒             文責:サイトウ
 転んで、踏まれて、押しつぶされて、40代よ、さようなら。家の中は禁煙なのでベランダでいっぷくとするか。家人も出かけ子供連中もそれぞれで、いつもの様に俺一人!っと。ちょっとハードな週末だったので酒がまだぬけてない。気持ちがわるいぞ〜っ!思えば辛い事ばかり、男人生50からとは言うものの、いつまでたっても学習能力なんぞ湧き出て来るはずもなく、情けないかな、坂道転げる様にオヤジ道をまっしぐら!という感じだ。何にも変わっちゃいないです。そんな事は、はなから解ってたはず。家人が干した洗濯物が風に揺れてる、おや?花壇の葉っぱに水滴が!キラキラと光ってる。そうだ、少し熱めのシャワーを浴びよう!パジャマを脱ごう!シャワーよりお湯を溜めて風呂に入ろう!ゆっくりと風呂に入って時間を過ごしてみよう!俺は山周の「泣きごとは言わない」と恵比寿1缶を握りしめ全裸になった。

12月6日(土) ピッギーの肉圧で復活を決意した池袋の夜 文責:サイトウ
 右足を引きずりながら俺は池袋まで急いだ。ポヨヨ〜ンおデブちゃん達が俺を待っている。いや!もとい!おデブではない!…。先日みうらじゅんさんから、デブという言い方はよくない!「ピッギー!」と呼びましょう!!「ピッギーちゃん」と。ま、確かにその方がかわいい。呼びやすいし。でもブタですか?…。それで本日はピッギーちゃん達の撮影である。おまえは何をしているんだ!という方もいらっしゃるだろう。すいません、好きなんです、何の抵抗もありません、こればっかりはもうどうしようもありません。彼女達はすばらしいです。俺はきょうたまたま右足を引きずってます、それと同じで彼女達はたまたま今少しピッギーなだけです。そうでしょ?可愛いです。そしていい写真が撮れました(4号参照)。しかしこれはもっと掘り下げなければいけない!その時思いました。まだまだ足りない!と。そう思ったわけです。50になった俺にピッギーちゃん達がくれたんです、まだまだがんばりが足りんぞ〜!…と言う思いを。ジンロを飲みながら復活を決意した夜でありました。しかし肩から手を回しても胸まで届かん!?ピッギーだ!!。

12月5日(金) その時歴史は動かなかった。        文責:サイトウ
 そんな〜、いいよ〜、50にもなって、ふつうに飲もうよ〜、あらたまってやられてもな〜、いいじゃない〜いつもの感じでさぁ〜、加賀屋でさぁ〜、わかったよ〜、7時ネ、了解。10分前に加賀屋に到着。まだだれも来てない。浅草橋には2軒の加賀屋がある。当然2軒ともホッピーが置いてある。ガード北側の方が少し店も大きく2階も有りしかも座敷で落ち着いて飲める。金曜日の7時なのにほかの客もなくポツンと俺一人座敷の隅に席をとった。2階担当のおね〜さんがとことこ上がって来た。あら〜今日は早いのね〜、久しぶりじゃないの〜、どこで浮気してたの〜?この色男!……。っんで、あと何人来るの?うん4人かな〜、どうする?先にいっとく?ホッピー?いや、とりあえず恵比寿黒の小瓶ちょ〜だい。あいよ〜!…。こんな感じのおね〜さんで俺よりもけっこう上だろうな〜と思われる文字どおりおね〜さんである。ぽつりぽつりと他の客も上がって来た。恵比寿小瓶2本目を空けたあたりで本日の俺の仲間達が上がって来た。編集者2人、酒豪のH女史、ライターのY子さん。ホッピーで乾杯の後、お祝いを貰う。焼酎1本、日本酒1本、コナコーヒー、ウコン、そして強精剤も入っておる。どういうつもりだ!俺にこんなの飲ませたらエライ事になるぞ〜!横に座っているY子さんは酒が飲めないので、ホッピーの外を飲んでらっしゃる。俺はひたすら中身をおかわりし、外をY子さんにすすめる。しっとり美人2人のおかげで俺らのテーブルは非常に華やいでいて楽しい。まわりのオヤジ連中も気になるのであろう、うつろな目で俺らを見渡している。へへへ、いいだろう〜?ほとんど中身だけのグラスを俺はあおる。その時歴史はなにも動かなかった。いつもと一緒だ。そして俺は酔っぱらった。かなり。店を出て俺はつまずき転んだ。その後若手編集者を引きつれフィリピン、ロシア、ブラジルと旅に出た。…。翌日の時差ぼけは大変なものであった、転んだのが原因だろう右膝が痛い、なぜか右手甲も痛い、後日談でどうやら転んだ際Y子さんに右手を踏まれた事が判明した。Y子さん!次回左手も御願いします〜。…。

12月4日(木) 夜の浅草橋に響く謎の音            文責:ナベ
 ついにこの日が来てしまった。飲み屋でのバカ話から始まったビール券紙相撲初場所開催の日が!! 出場者はカメラS氏、デザインI氏、僕、そして某社編集M氏の4人。当初は編集長O氏が出場予定だったが、「俺さ〜、手先が器用じゃないから力士を作れないよ〜」と泣き言を言うので行司に任命。冗談で誘ったら真顔でOKしてくれた相撲好きで負けず嫌いのM氏が出場することに。皆この日のためにコピー用紙など(ビール券は1枚しかないので)で力士を作るのに余念がなかった。開催時間は午後6時だったが、I氏は正午すぎに編集部に来た時点ですでに緊張していた。「ついに試合の日やなあ。ホンマ緊張するでえ」とI氏。すると、バイトに来ていたY子嬢が「そうですよねえ、今日、日本勝つかなあ」I氏「いや、ビール券紙相撲なんやけどね」Y子嬢「……」 そうなのである、皆サッカーは好きだけど、今日の我々にとってはサッカー日本代表の試合よりもビール券紙相撲のほうが大切なのである。レベルはまったく違うものの、やはりどんな試合でも観るよりもプレイするほうが楽しいに決まってるのだ。で、M氏が午後6時に登場し、5人で乾杯して開幕! 試合内容は第4号で読んでいただくとして、それにしてもまあ、いい大人、というか、上は明日で50、下は来年3月で35になるいいオッサンたちがよくやるわ、って感じだった。夜の浅草橋に響く発泡スチロールの音と複数の男たちのガナリ声を聞いた人は、いったいどう思ったのだろうか。すぐ近くにある交番の警官がやって来なくて本当によかった。初場所後、酒をあまり飲まないI氏を除いた4人で、駅前のおでん屋へ。S氏の“さらば40代”記念も兼ねて再び乾杯し、戦いの後の心地よい酔いを味わった次第。

12月3日(水) S氏、今年一番の大仕事!           文責:ナベ
 午前8時起床。ゆったりと朝食を摂り、午前9時過ぎには家を出る。午前10時に浅草橋の一駅前の秋葉原駅で下り、明日開催されるビール券紙相撲用のビール券4種類を金券屋で購入。15分程歩いて編集部に到着し、正午まで第4号の仕事に思いきり集中。昼食後、コーヒーを片手に窓から空を見上げ、「入稿日まであと少しだし、頑張っていくか」と一人呟き、再び仕事に戻る。……などという素晴らしきスケジュールを昨日考えていたけれど、やはりというか何というか、そんなことはできなかった。前夜飲みに走った段階で、そんなスケジュールはごみ箱に捨てたようなもんです。で、結局秋葉原駅に着いたのが正午過ぎ。ゆったりとした朝食も、昼食後のコーヒーもなく、空腹のまま金券屋を探すことになった。大手ビールメーカー4社のビール券を1枚ずつなんて言ったら怒られるかなあ、でも、買いたいんだからしょうがないよなあ。などと思いながら、金券屋へ入った。残念ながら2社分しかなかったが、店員は嫌な顔をせず非常に事務的な感じで売ってくれた。で、残りの2社分を求めてまた別の金券屋へ。店内に入ると、すぐ目の前にガラス張りのショーケース。ビール券を探すと、残り2社分のビール券がしっかりとあった。ああ、よかった。が、ビール券を銘柄別に1枚ずつと言うと、対応した男性店員がすぐさま表情を曇らせたので、店内に一瞬緊迫した空気が!! 視線ビームをぶつけあう店員と僕。とはいえ何も起こらず、無事4社分のビール券を購入。その後、徒歩で編集部へ。あとは土俵作りだけれど、クール宅急便か何かで使われた正方体の発泡スチロールの箱がちょうどあったので、その表面にペンで土俵を書けばOK。それぐらいの作業は明日やればいいやってことで、原稿書きに集中した。ところがしばらくすると、僕の背後でガサゴソガサゴソ……。なんだなんだ?と思って振り返ると、そこにはS氏の姿!! S氏は、丸く切ったダンボールを正方体の箱の表面に貼り、その円に沿って紙袋の手提げ部分のヒモを丸く貼り、おまけに細く切った紙テープ2本を仕切り線代わりに貼っていた。しまいにはダンボールで吊り天井まで作ってる。おお、土俵らしくなってるじゃないか! おお、ムチャクチャ活き活きしてるじゃないか! フィリピンパブはともかく、仕事のときにこんな活き活きしてるS氏は見たことがない。今や大工の親方と化したS氏は、なんと6時間近くかけて素晴らしい土俵を作り上げたのである。えーっと、本来の仕事はどうしたの? なんてセリフが喉元まで出かかったものの、そんなモノはビールで流し込み、僕は素直にカンドーした。おお、これはいい初場所を迎えられるぞと。他のスタッフが帰った後も、僕とS氏は缶ビール片手に土俵をしみじみと眺め続けた。う〜んW君、いいねえ、これはいいよう。と自画自賛のS氏。そうっすねえ。僕も愉快にビールをぐびぐび飲み続けているうちに、あっと言う間に午後10時。じゃあビール券紙相撲初場所用土俵完成記念で乾杯だあああ、とか何とか叫びつつ、僕らは駅前の中華屋へ場所を移した。

12月2日(火) 妙な所で同期と再会               文責:ナベ
 気がつけば第4号の入稿まであと15日になってしまった。もはや他の仕事をしている余裕はなく、「酒とつまみ」一本で突き進まないと、「そらエライことになりまっせ」と思わずニセ関西弁を使ってしまうくらい厳しい状況だ。入稿前日から徹夜してヘロヘロで入稿した第3号の二の舞いだけは避けたいので、今日はとにかく第4号の原稿書きやテープ起こし。夕方から「ビールをガソリン代わりにしてエンジン全開だ!」などと叫びつつ、とにかく原稿書きとテープ起こし。そこそこ順調に進み、午後11時前に編集部を出た。午後11時半すぎに吉祥寺駅に到着。明日も集中して第4号の仕事をしなきゃいけないので、駅前でメシだけ食べて帰り、早く寝ようと思っていたが、駅構内のトイレで小便をしていると隣に見覚えのある顔が……!? 僕が10年以上前に辞めた会社の同期だった。入社1、2年目の頃は、他の同期の結婚式二次会や飲み会などで、二人してウケ狙いのモノマネで歌いまくりバカ騒ぎしたものだ。あんなことはもうできないけどね。それにしても、吉祥寺に住んでいるのは知っていたものの、まさかトイレで隣り合わせにならなくてもいいのになあ。小便をしながら隣から突然声をかけられた彼の驚きようったらなかった。辛うじて便器の外にもらさなかったのが救いだろう。で、久々に会ったので、そのまま駅前の居酒屋へ。「軽くね、軽く」と言ってたものの、懐かしい話やバカ話、競馬話などして盛り上がり、結局帰宅したのが午前3時前。ああ、明日というか今日、早く起きられるかなあ。そう呟きながら就寝。

12月1日(月) W君のはげまし                文責:サイトウ
 あと4日です。何がってあと4日で50です。手もとにあったデイリーコンサイス国語辞典(三省堂)でなんとなく「初老」を引いてみた。すると、「老年に入りかけた年頃、60歳前後」とある。そ〜か、俺もあと10年ほどで老人か〜、と思っているとまだ続きがあり、そこにはこう記してあった、「※もと、40歳の別称」……!ウッソ〜だろ!もと、って何だよ、もと、って。そして、「もと」も引いてみた、「以前、昔」だって。そうか昔は40で初老だったのか〜、人生50年!なんて言われてたしな〜。W君〜!そういう訳だから、もっと俺をいたわってくれないと困るよ。と冷蔵庫からモルツを取り出して飲んでると、W君曰く「なに言ってんすか〜!人一倍酒だって飲むし、100倍位エロがまだ残ってるじゃないですか〜!このまましょぼくれてていいんですか?」と、けなされてんのか、励まされてんのか、解らん返事が帰って来た。が、確かにW君の言うとおりだ。しょぼくれてはいられない!男人生50から!少し残ってるモルツをあおり、2本目を取り出して、俺は誓った、まだまだこれから一花も二花も咲かせてみせたる!いや!咲かせなければいかん!!と。


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