■「酒とつまみと営業の日々」第11話〜第15話 

第11話 皆様からの激励に落涙!

 第2号発売後の営業も順調に進み始めた『酒とつまみ』だが、この第2号発売に合わせてホームページも開設した。とはいえ私がエラそうに言う筋合いはない。全部、編集WクンとデザインのIさんが作ってくれたのだ。彼らは、2号を校了した後も奮闘を重ね、HPの立ち上げを発売に間に合わせてくれた。
「これでよお、バカスカ売れるといいよな」
 ひたすらノー天気に喜んだのは、私とSさんである。
 しかし、効果は本当に絶大だった。前号に書いた神戸の海文堂書店からの注文は、このHPを見た同店のFさんがメールをくれたことに始まる。しかもFさんは自社のHPに、創刊号と2号の内容を詳しく紹介し、さらには初期の『本の雑誌』まで引き合いに出して推薦してくださった。文末にはひと言、がんばれ!『酒とつまみ』と記されていた(泣)。
 鳥取の定有堂書店のHPでは、現在も小誌BBSに時々書き込みを下さる通称からすサンが、ずばり、『酒とつまみ』が面白い! というタイトルで紹介文を掲載。そこでは「70年代のミニコミパワー髣髴させるこの雑誌にはとにかく肩入れしたくなって」と、涙が溢れ出すようなコメントを頂戴した。
 かねてより付き合いのある編集者のSさんもご自身の雑誌のオンラインページにエッセイを寄せていた。彼は、紙袋やリュックサックに『酒とつまみ』を積め込んで嬉々として営業に回る私たちの姿を評し、「ここに雑誌の原点を見る思いがする」とまで書いてくれた。こうなると嬉しさのあまり、号泣寸前だった。
 こうした推薦文が掲載されていることを、強烈な機械オンチにしてインターネット恐怖症の私に知らせてくれたのは、編集Wクンである。彼は、ネットを検索し、『酒とつまみ』への推薦文や感想を見つけると、それをすぐに私のアドレスに転送してきた。読んでくださっている人がいますよ、元気出していきましょう! 何事につけビビリがちで弱気の出る私にとって、なによりの激励になった。スタッフ全員が完全なボランティアで1円のギャラも取らないとはいえ、創刊号の2度の増刷と2号の2000部の印刷費は、ずっしりと重たかった(今はもっと重たい)。それでも、台所事情の苦しさより、顔も知らない誰かが読んでくれているという嬉しさのほうが、はるかに大きかった。
 かくなるうえは、さらなる酒ネタを収集しなくてはならない。我等スタッフ一同は連日連夜、安酒を流し込んでは、飽きもせずひたすらバカ話に興じるのだった。

(「書評のメルマガ」2004.4.8発行 vol.159 [なりきりコミさん 号] 掲載)

 

第12話 人の輪も広がる感謝感激の頃

 平成15年5月、『酒とつまみ』2号は順調だった。発売から1カ月半ほどで、大阪は梅田のブックファーストから創刊号、2号各15冊、堂島のジュンク堂から各30冊、仙台のあゆみブックスから各20冊の追加注文が入り、地方・小出版流通センターからも、4月末の50冊に加えて5月13日に30冊、同22日には100冊の注文が来た。また、吉祥寺のパルコブックセンターからは2冊の客注も入った。おそらくはHPを見た人からの注文だろう。この客注はことのほか嬉しく、休みをとった土曜日に自ら2冊を納品し、あまりの気分の良さに吉祥寺の「いせや」(公園脇の支店)に足を運んだ私は、もつ焼き片手に焼酎をガブ飲みしたのである。
 人の輪も広がっていった。創刊号と2号の巻末には、ボランティアでお手伝いをしてくれる人を募集していたが、その、ほんの小さな告知に対し、実にさまざまな人が手を挙げてくれたのである。埼玉の主婦のTさん、京都で創刊号をまとめ買いしてくれたW君、酒に関する膨大なメモを作っている神保町のTさん、イラストレーター志望のMさん、美大出のS君などなど、経歴も仕事もみな違う素敵な人々が我らの仕事場を訪ねてくれた。それも、この上なく嬉しいことだった。ただ、募集をしておいてナンだが、いつ、何を、どう手伝ってもらえばいいのか分からず、その後こちらからも音信不通になっていること、この場を借りてお詫びいたします。
 当メールマガジンの南陀楼さんにも、『酒とつまみ』を発行することで御縁ができた。連載陣のエンテツさんや高野麻結子さんにお引き合わせいただき、八重洲口の加賀屋東京店でガブ飲みしつつ、今書いているこの連載の話も固めてもらったのである。昼は書店に電話をかけて売上調査をし、追加注文の発送準備をし、夜は夜で、こうした『酒とつまみ』から生まれる人の輪の中で、うまい酒を飲めた。
 6月6日には、小誌連載陣の松崎菊也さんとすわ親治さんが出演する『他言無用ライブ』が調布グリーンホールで開かれた。デザインのIさんとカメラのSさんが先乗りし、私は後から追いかけて、ホールのロビーで『酒とつまみ』を売った。この日、知人との飲み会に『酒とつまみ』を持ち込んでいた編集Wクンからメールが入り、8冊売れたとのこと。私は、こちらも19冊と即座に返事を出した。
 ライブ終演後は、スタッフ、出演者の打ち上げに参加。うまいビールを飲んだ。松崎さんも、すわさんも、グイグイ飲んでいる。内輪の宴に長居は禁物と我々は中座して失礼した。調布から私の自宅は近いので、早々に帰りついてシャワーを浴びると、ケータイが鳴っている。電話の声はすわさんだった。先に帰ったことを松崎さんが怒っているという。その声の向こうで松崎さんの怒鳴り声がする。
「てめえはあ! 松崎の酒が飲めネエっていうのかあ!」
 そしてすわさんの声。
「松崎は、もう、ウンコでーす!」
 電話は切れた。私は、嬉しかった。この雑誌をかわいがってもらっていると思うと、無性に嬉しかった。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プルリングを勢いよく引き上げた。

(「書評のメルマガ」2004.5.11発行 vol.163 [ ちょっと小休止 号] 掲載)

 

第13話 ミニコミ誌・悶絶の広告問題(その1)

 さて今回は、『酒とつまみ』の広告問題である。ミニコミ雑誌はただでさえ部数が少ないから、印刷した分を全部販売できたとしても利益など望めるものではない。だからせめて広告がほしい、と切に思う。しかし、部数が少なくて知名度もないとうことは、広告媒体としての価値もそれだけ低いということで、そんなところに広告を打ってもどれだけ意味があるか、まるでわからない。だから、広告は集まらない、ということになる。
 まして小誌の場合、広告をいただくことで特定の酒メーカーや飲み屋さんに遠慮した誌面を作ってしまえば、ただ好きなことをやろうじゃないかと言ってミニコミを始めた意味がなくなってしまう。だから小誌では、内部の決め事として、酒を作っている個人や会社、酒を販売している個人や会社からは、もし万が一広告を出したいと言われてもお受けしない方針を固めていた。
 とかなんとかエラそうなこと言ってるが、創刊号に関しては制作するのが精一杯で広告営業をする気持ちの余裕さえなかった。結果として広告はゼロ。第2号の編集作業に入ったときには、広告なんとかしなくちゃモードに入ってはいたものの、どこへ行けばいいのかもわからず、お手上げ状態。二日酔いの薬とか胃薬など、この雑誌の広告にはぴったりだとは思うけれど、具体的な手立ては何一つ思い浮かばなかった。やっぱり広告はゼロ。
 そんな窮状を救ったのは1本の雑誌記事だった。『編集会議』03年3月号で、新宿の『模索舎』という書店さんの売上ベスト3が掲載され、小誌創刊号が2位にランクされていた。そのとき、1位だったのが『中南米マガジン』という雑誌で、この記事をきっかけにして、発行人の金安顕一さんが小誌編集部を訪ねてくださったのである。そのときには、映画雑誌『ジャッピー!』の編集者、中島泰司さんも一緒だった。
「3誌で広告を交換しませんか」
 実にありがたい申し出だった。そのときすでに『中南米マガジン』は13号を、『ジャッピー!』は18号の編集作業に入っていた。息も絶え絶えになりながらようやく2号の発売に漕ぎつけた小誌にとっては大先輩である。2誌から広告原稿をいただいて誌面を作る。広告料は入らないが、その代わり、小誌の広告が2誌に掲載される。固定読者をもった既存の雑誌で、『酒とつまみ』を知っていただくことができる。このメリットは大きい。
 嬉しさのあまり、調子ものの私は言った。
「3誌合同で、どこかの雑誌に広告を出すというのはどうでしょう。悶絶するミニコミ雑誌・連合広告企画! という具合で」
「おお、そういう考え方もありますね」
 金安さんはご機嫌にそう答えてくれた。そして、いくらになるかという相談……。
「仮にページ20万円の媒体なら、1誌7万円弱の負担で出せますね」
 言ったそばから、私はがっくり肩を落とした。7万円なんて、『酒とつまみ』のどこを突っついても出てくるものではなかった(泣)。

(「書評のメルマガ」2004.6.6発行 vol.167 [ 地下室の古書展 号] 掲載)

 

第14話 ミニコミ誌の広告料金って!

 前回に引き続き『酒とつまみ』広告問題である。第2号まで1本の広告もなかったところへ、先輩のミニコミ雑誌2誌から交換広告の話が持ち上がり、編集部では俄然、「広告なんとかしようぜ話」に熱が入ってきた。
 が、名案なんぞ浮かぶはずもない。胃薬とか肝臓機能を強化する薬などが最適と思うが、相手が製薬会社ともなれば広告代理店抜きに営業などかけられるものではない。20代の頃、求人広告の営業を経験している私は、広告1本を受注するまでのプロセスが並大抵のことでないことだけは知っている。知っているだけに気持ちが萎えて萎えて、よっしゃ、やったるで、という気に全然ならないのだ。
 とはいえ、3分の1ページの交換広告が2本入ることは先に決まったので、せめて残りの3分の1ページを埋めなくてはならない。ならば、まず、掲載料金を決めなくてはならない。いくらにすればいいのか。1万円か? 2万円か? それが高いのか安いのか、まるでわからない。
 わからないまま、ある深夜、吉祥寺の「ハバナムーン」でビールを飲んでいると、そこへ某大手出版社の女性編集者が来た。彼女は部数の多い雑誌の編集者なので、近くに座ったことをいいことに、思い切って聞いてみた。
「酒とつまみの広告料を決めたいんだけど、あなたの雑誌ではいくらくらい?」
 彼女はまず、とてつもない発行部数を口にした。100万部を越えているのだ。我らが『酒とつまみ』は堂々の2000部である。なんと、500分の1以下なのだ。
「それで広告のさあ、媒体料は?」
 彼女はまたもや、とてつもない数を口にしたのである。200万円を越えていたのだ。いや、越えてなかったか。あまりに動転してよく覚えていない。でもまあ、常識的に考えて、1ページ200万円は、あり得ない話ではない。私自身、若い頃、バブル期とはいえ1ページ100万円以上の広告を扱っていた。
 さて、『酒とつまみ』だ。女性編集者がつくっている雑誌は100万部発行して、1ページあたり200万円。『酒とつまみ』は2000部、発行部数は500分の1だから、200万円を500で割ると、ああ! 1ページ4000円になったではないか! しかも、小誌はオールモノクロである。普通、カラーよりモノクロは安いのだ。だから、常識的に考えたら2500円くらいしかもらえないということがわかった。
 私は落胆した。ナニが1万円だ! 2500円がいいところよ! へッ2500円だって? 泣けてくる……。
 しかし、である。我らが『酒とつまみ』はここでもまた、幸運に恵まれる。第3号の編集作業も大詰めに差しかかった夏の初め、京都の染色作家から、有料の広告掲載の申し出があった。広告主は、小誌デザインを担当するIさんの、背の高い友人であった。広告媒体料は8000円、制作費が2000円、合計1万円で、商談が成立。ついに、『酒とつまみ』に有料広告が入ることが、決定した。

(「書評のメルマガ」2004.7.5発行 vol.171 [ 真夏の大感謝祭 号] 掲載)

 

第15話 セコすぎる根性が言わせた「3号は4000部!」

 2003年の夏を迎える頃――。2000部を印刷し、発売から3ヶ月ほど経過した『酒とつまみ』2号は、順調に売上を伸ばしている模様だった。創刊号の残部数も、わずかになっている。この調子なら2号の完売も不可能ではないかもしれない。そんな期待が生まれたためか、苦手な編集作業に追われる間も、3号の発売がことのほか楽しみだった。
 小誌の場合、編集にしろ営業にしろ、ほとんどの打ち合わせは飲み屋で行われている。少なくとも編集WクンとカメラのSさんと私の3人で何か話すときは、100%酒が入る。酔ってバカ話をし、酔った勢いでつい喋ってしまった過去の失敗談から話が膨らみ、それが実際の企画になる。そんなことが少なくない。
 Sさんと私はひたすらバカ話をするだけである。聞かれてもいないのにそれまで隠していた色っぽいエピソードなどを開陳し、ひとりニタニタ笑ったり照れたりしているSさんは不気味だが、そんな話の中にも使えそうなネタはあるもので、Wクンはそれらをすかさず小さなノートにメモるのである。もし、このメモ帳と、ぐーたら酔っ払いオヤジふたりの毎夜繰り返されるヨタ話を聞きつづけるWクンの辛抱強さがなかったならば、『酒とつまみ』創刊はあり得なかったと断言できる。が、私が威張ることではまったくない。
 2号までは表紙含めて64ページだったが、3号から80ページに増ページすることが決まっていた。というより、そんなに増やしてもネタが追いつかないというWクンの忠告を、私はほとんど聞いていなかった。「80ページ、ねえ! いいじゃないの、立派じゃないの。雑誌みたいじゃないの」とワケの分からないことを言ってはニタニタしていた。そのくせおもしろいアイデアは浮かばないので、呼気で判定するアルコール検知器2台を東急ハンズで購入してくるくらいが関の山だった。
 私が悩んでいたのは部数である。2号の調子もいい。3号は80ページに拡張する。ならば部数も、と考える。メールでそんなことを伝えたら、連載陣の二木啓孝さんから、
「いったれ、いったれ、1万部いったれ!」
 という心温まる返事を頂戴した。しかし、1万なんて到底無理。悩んでいたのは2000部のままで様子を見るか、3000部くらいまで増やしてみるか、その程度のことだった。最初にビビって後から増刷すると印刷製本費が高くつくことは創刊号の2度の増刷で学んでいた。3000部、思い切っていってみるか……。
 ちょうどその頃、第3号の集団的押し掛けインタビューにご登場を願ったプロレスラーの蝶野正洋氏に、ゲラを送ってあった。彼と私は中学時代の同級生という気安さもあって、修正箇所はないかと、気楽に電話をかけた。
「原稿、見てくれた?」
「ああ、来てたね。任せるよ。ところでさ、あれ、何部刷ってんの?」
「エ? ああ。あのね……」
「俺、出てんだからバーンといけよ」
「そう、そうね、バーンと4000部!」
 昔の同級生にさえ自分を少しでも大きくみせたいと思うセコすぎる根性が言わせた4000部、なのであった。

(「書評のメルマガ」2004.8.5発行 vol.175 [ 夏の読書 号] 掲載)




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