■「酒とつまみと営業の日々」第6話〜第10話 

第6話 増刷出来! 第1期ノリノリ時代

 創刊1カ月後の11月下旬から12月上旬にかけての間、『酒とつまみ』には良いことばかりが続いた。デザインのIさんが素早く制作してくれたチラシは、書店の店員さんに受けまくった。インタビューに協力していただいた中島らもさんの写真をドンと大きく使い、「第1回中央線で行く東京横断ホッピーマラソン」、「酒場盗み聞き・美人OL編」「飲み残しビール選手権」「ゲロ自慢座談会」など、なんでこんなことをと思わせる珍妙なタイトルを列挙した。チラシを見るだけで笑えた。
 これをファックスして電話でフォローする関西営業の第1弾は、ブックファーストの京都店と梅田店だった。ブックファーストを選んだのは、その頃渋谷店で創刊号が驚くべき売れ行きを示しており、担当のKさんに関西でも売れないかと相談したところ、上記の2店舗を推薦してくれたからである。しかも、「お電話されるときに、私の名前を出していただいても構いません」とまで言っていただいた(泣)。
 チラシ&電話営業は効を奏した。京都店の雑誌担当Kさんからすぐさま電話があった。
「おもしろそうですね。20冊お願いします」
 編集WくんもIさんも私も、狂喜した。
 東京でも書店開拓は進んだ。ミニコミに好意的な書店をインターネットで調べ上げ、「中央線ホッピーマラソン」が進行中ということから中央線沿線に的を定めて地道な営業を展開したのはWクンだ。その結果、新宿の模索舎と中野のタコシェというふたつの書店での取り扱いが始まり、西荻の信愛書店は系列の高円寺文庫センターにも創刊号を並べてくれた上に、12月3日に15冊、9日にはさらに20冊の追加注文をくれた。そこに、大日本印刷から500冊の増刷が届く。
 松崎菊也さんと飲んだのもその頃だ。まだ『酒とつまみ』が影も形もなかった創刊前に連載を約束してくれた松崎さんは、創刊号の隅々にまで目を通してくれていた。飯田橋の、お世辞にも高級とは言えない居酒屋のカウンターで、松崎さんはこう言った。
「これな、ひょっとすると相当にイケるぞ」
 私はまたもや目を潤ませて、増刷したことを伝えた。すると松崎さんは、新たな執筆陣をふたり紹介すると確約してくれた。日刊ゲンダイの二木啓孝さんと、元ドリフターズのすわ親治さんのふたりだった。
 取り扱い書店の開拓と新たな執筆陣の登場で編集部は沸き立ったが、ここでもひとり、カメラのSさんの言動は趣を異にしていた。2号に掲載する記事の取材のためWクンと一緒に奄美大島へ飛ぶことになったのSさんは「奄美でも売ってくるからな」と、力強く語ったものであるが、そのくせ書店がどこにあるのかさえ調べない。行きゃ本屋くらいあるでしょというノリだった。旅に出ることが嬉しくて仕方がない――。にこやかなその表情から読み取れるのは、これだけだった。出発当日、Sさんの頭の中からは奄美で書店営業するという思いは消えていたものと思われる。なぜならその日『酒とつまみ創刊号』10冊をリュックに詰めていたのは、Sさんではなく、Wクンだったからである。

(「書評のメルマガ」2003.11.7.発行 vol.139 [豆ごほんの秋 号]掲載)

 

第7話 Sさんは返品率6割5分を叩き出した

 12月上旬、『酒とつまみ』第2号の取材のため奄美へ発ったカメラのSさんと編集Wクンは、Sさんの知人のコーディネートもあって、取材を順調にこなした。1件の取材のために2泊3日の予定を組んだから時間には余裕がある。空いた時間には美しい海岸を散策し、小さな居酒屋でのんびりと島の郷土料理を味わい、焼酎を少し飲んだら宿へ帰って読書をしようとWクンは考えていた 。
 しかし、Sさんとの地方ロケはそんな甘いものではない。居酒屋で飲みかつ食い、民謡を楽しむまでは予定通りだが、なぜかSさんは、地方へ行けば(地元にいてもだが)必ずフィリピンパブへ行く。取材後のお疲れさんの1杯までは付き合うが、あとは別行動と考え、東京にいる頃から再三にわたってそう主張していたWクンも、あえなくフィリピンパブに拉致されたという。それも、ふた晩連続。帰京後、Wクンの憔悴し切った顔の横に、狂乱の夜を思い浮かべてはニタニタ笑うSさんの恵比須顔があった。Wクンの気持ちが分かるだけに、見るに忍びなかった。
 さてそのSさんだが、Wクンが担いでくれた創刊号10冊を無事に奄美の書店に納めることができた。それで、味をしめた。
「タケちゃんよお、書店営業ってさ、まあ、簡単ってことだなあ」
 とか言ってリュックに創刊号を詰めては夜の町へ消えた。その結果、船橋、市川の書店への5冊ずつの委託に成功した。オレに任せときゃざっとこんなもんよ、とばかりに肩で風を切った。
 しかしこれには後日談がある。この頃Sさんが納品した計20冊のうち13冊が翌年3月までに返ってきた。返品率6割5分。最悪だ。しかし、Sさんに反省の色はなかった。
 師走の慌しい中、Wクンは地道な営業を続けた。吉祥寺のファーストサークルというバーには、10冊ずつを3回に分けて納品、そのたびに深酒をして自腹を切った。経堂にある、からから亭というラーメン屋さんを開拓したのもWクンだ。『酒とつまみ』とは別件の打ち合わせの途中で、Wクンが会っていた編集者が店の主人にこの雑誌を紹介した。すると、ミニコミ誌と聞いただけで意気に感じたご主人はいきなり5冊を注文。1週間後には30冊を買い切ってくれた。商店街の知り合いに次々に配ってくれているというのだ。
 1月8日。さらに30冊納品。持参したWクンは風邪気味だった。「風邪なら味噌ラーメンがいいぞ」とご主人。温まった店内で味噌ラーメンをすするWクンはたちまち額から汗を流す。するとご主人、
「そのまま外へ出たら風邪が悪くなる。下着を替えていけよ」
 シャツ持って来い――。ご主人は奥さんに声をかける。Wクンは半裸になって着替えた。寒風吹く経堂の町へ出た後も、からから亭主人のシャツは、Wクンの体をいつまでもポカポカと温め続けたという(泣)。

(「書評のメルマガ」2003.12.12.発行 vol.143 [ヤスケンと研堂 号]掲載)

 

第8話 京都、大阪、神戸への初遠征で驚喜!

 500部増刷した『酒とつまみ』創刊号は、2002年の年末から2003年の年明けにかけて、少しずつだが順調に納品部数を伸ばしていった。返品はまだない。都内や千葉だけでなく、京都での販売も始まっていた。本来であれば創刊2号の取材に着手すべきときだったが、営業に没頭していた。年が明けて仕事場へ出ると、書店から追加注文のファックスが届いていたりもして、スタッフ一同、驚喜した。そして1月10日を過ぎた頃、京都のブックファーストから電話があった。
「あと20冊、お願いします」
 最初の20冊を宅急便で送ったのが12月上旬のことだから、1ヶ月でほぼ20冊を売ったことになる。この1本の電話に勢いを得た私は、関西へ出向くことを決意する。17日に予定されていた出張を1泊延長して京都、大阪、神戸を回ることにし、仕事の後で暮れ方の京都へ向かった。ブックファーストで20冊の追加納品をした上で、もう1軒の開拓に成功する。寺町にある三月書房である。店内に入ってから、店主と思われる人に声をかけるのが躊躇われた。この書店は詩、思想、批評など、堅い本が多い。そこへゲロとウンコ絡みの馬鹿話を満載した創刊号を持ち込むのだ。緊張は極度に高まった。
「あの、これ、置いてもらえないでしょうか」
 創刊号を差し出す私。店主はひと言。
「安いんじゃないかな」
 あまりにも安易な内容を指摘されたと思い、
「そうですよねえ、こちらには不似合いで…」
「700円くらいでいいんじゃないの?」
「へ? 350円ですけど」
 訳のわからない状態になる私に店主は、
「10冊送ってもらおうか」
 名刺を交換し、支払いの決め事などを話すと、品物を送る約束してそそくさと店を出た。これは、イケルかもしれない。少なくとも、初めて創刊号を見た書店さんが委託とはいえ注文をくれるのだから、イケル要素はあるのだ。そう考えるだけで興奮がおさまらず、その晩は飯を食うのも忘れて深酒した。
 そして翌日、大阪は梅田のブックファースト、堂島のジュンク堂本店、神戸は三宮のジュンク堂を回り、すべての店で注文を得た。新規注文の数は、京都10、大阪50、三宮20で合計80冊を数えた。帰りの新幹線の中で私は、2回目の増刷について考えていた。取り扱ってくれる書店の数が増えればそれだけ部数が伸びる……。今度の増刷は1000部だあ! へへへへへ。缶ビールを呷るように飲みつつニタニタ笑いを浮かべる私は、傍から見れば相当に怪しいお父っつあんであっただろう。

(「書評のメルマガ」2004.1.12.発行 vol.147 [こまわりくん帰還 号]掲載)

 

第9話 らもサンすんません、売れてもうた!

 関西で100冊近い注文を得て2度目の増刷を決意した私は、帰京してすぐ印刷会社へ連絡した。冊数は1000冊。創刊部数が500部で、発刊後1カ月半での1回目の増刷が500部であったから、2回目の1000部は明らかに無謀な増刷なのだったが、まあ、なんとかなるだろうという大きな気分になっていた。とはいえ、小部数の追加増刷は金がかかる。都合2000部を3回に分けて印刷するのは一度に行う場合の倍の費用を要する。もとより編集スタッフ全員がボランティア、1円のギャラも手にすることもままならない貧乏所帯のこと。増刷は嬉しいことだけれど、同時に泣きそうな事態でもあったのだ。
「最初から2000刷っときゃよかったんだよ」
「ホントだよな〜」
「何言ってんの、200部売る自信もなかったのに」
「ホントだよな〜」
 などと愚かな会話をしつつ、さらに追加の1000部がやがて納品されることへの期待に、泣きそうな懐具合もまた、楽しめた。
 追加が納品された頃のことだった。
「中島らも、タイホされる」
 友人からメールが届いた。創刊号の集団的押しかけインタビューにご登場いただいた中島さんが捕まってしまったということで、一瞬だが、編集部には不安がよぎった。
「1000部増刷と聞いたばかりだが、大丈夫であるか。少し心配しておるぞ」
 松崎菊也さんも、そんなメールを下さった。
 そして2月。再び関西の地を踏んだ私は先月大量に納品した各書店を恐れながら回った。どっさりと返品を抱えて帰京することになっても仕方がない、とまで思っていた。ところが、ブックファースト梅田店のM店長は、にこやかな表情でこう言ったのだった。
「実はあれ以来、かえって売れまして」
 私はまことに不謹慎ながら喜んでしまった(らもサン、すんません!)。
 こうして幸運に幸運を重ねた『酒とつまみ』創刊号の在庫は減りつづけた。返品はまだ、1冊もなし。3月下旬、待望の創刊2号が納品された。またしても幸運なことに松崎さんとすわさんの出演する『他言無用ライブ』の公演日に間に合った。松崎さんは、会場で『酒とつまみ』の販売ができるよう掛け合ってくれていた。我々は創刊号と2号を大量に持ち込んだ。「松崎菊也さんとすわ親治さんのエッセイが同時に読めるのは小誌だけ」というワケのわからないキャッチコピーを編集Wクンが考案。それをデザインのIさんが絶妙にデザインした電車の車内吊り広告風4色ポスターを貼って、大々的に売り込みをかけた。活躍したのは編集部紅一点のY子ちゃん。当初、私とカメラのSさんが売店に立ったが人々は我々を遠巻きにした。退屈してタバコを吸いに行き、戻ってみると、店番をしていたY子ちゃんの前に人だかりができていた。
「はい、2号は350円です。創刊号もいかがでしょうか。はい、2冊で700円です」
 若くて別嬪でハキハキしていて明るい。当然のように一挙に2冊が売れる。私とSさんはまた、タバコを吸いに行った。この日、売上は、110冊を数えた(泣)。

(「書評のメルマガ」2004.2.9.発行 vol.151 [京都パラダイス 号]掲載)

 

第10話 混乱と奇蹟、絶叫の4月だ!

 当初予定から2カ月遅れたものの『酒とつまみ』創刊第2号は3月下旬(2003年)めでたく納品され、営業活動が始まった。地方・小出版流通センターへの初回納品は創刊号より100部増えて300部になり、創刊号を扱ってくれた直取引の書店さんの中に、もう取引はしないと通告してくるお店はなかった。胸をなで下ろしつつも、このときになって初めて、いったい誰が買ってくれるのだろうと、チュウハイのグラスを傾けながらWクンと話し合った。わからない。誰がおもしろがってくれるのか。まるでわからなかった。
 とはいえ、応援してくださる方がいなかったわけではない。年明けには、酒のペンクラブが発行している『酒だより』で、中川五郎さんが4分の1ページを割いて創刊号を細かく紹介し、文末に祈健闘! と書いてくれた。その後にも、中村よおさんの手作り書評誌でベタ誉めにあずかっている。我々はこれらの激励コラムを仕事場の壁に貼って、2号の内容は大丈夫なのかと不安になるときは常にこれを読んで自分を勇気づけ、なんとか第2号発売に漕ぎつけたのである。
 こうした応援は、新規書店開拓の馬力を生み出した。都内や近郊、仙台などに店を展開しているあゆみBOOKSでは、そのヤミクモな馬力が奇跡を起こした。八王子店の店長が知り合いだったため電話をしてみると、直取引なら本部の許可を取ったほうが早い、本部がOKといえば何店舗かで置いてくれるはず、いや少なくとも俺はなんとかするよ。知り合いの店長はそう言って励ましてくれた。
 そこでノコノコと本部を訪ね、営業の担当者の方に売り込みをかけた。ダメもとの営業なら慣れたもの、いざ対面してみると不思議なふてぶてしさが生まれてきた。それが効を奏したのか、全店の店長に、本部から直々に問い合わせてくれることになった。その結果は、8つの店舗合計で創刊号135冊、第2号145冊という驚異的な注文となった。我らが仕事場に、絶叫が響いた。
 味をしめたわけではないが、すぐさま横浜にある有隣堂書店の営業推進部に乗り込んだ。ここでも、とにかく置いてみてください、の一点バリである。その結果、3店舗合計で、創刊号15冊、2号30冊を置いてくれることになった。
 奇跡はまだ終わらない。神戸の海文堂という書店から初めての注文が来たのは4月中旬に差しかかった頃だが、初回から創刊号2号ともに20冊という大量注文だった。しかもその1週間後には各30冊の追加が入った。どうなってるんだ? 神戸で何が起きているんだ? 嬉しいやら不気味やらで混乱気味の編集部に4月末、一本の電話が入った。
「神田の三省堂です。これは平台でいきたい。創刊号を20、2号を30、お願いします」
 電話での注文を復唱した後の小生のひと言。
「あの、ホントですか?」
 仕事場には、再び絶叫が響きわたっていた。

(「書評のメルマガ」2004.3.10.発行 vol.155 [混乱と絶叫 号] 掲載)




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