■「酒とつまみと営業の日々」第1話〜第5話 

第1話 その瞬間、営業魂に火が点いた

 飲兵衛のバカ話だけを集めた、決して人様のお役に立たない雑誌『酒とつまみ』を創刊して半年になる。このメルマガでも紹介をしてもらった上に、何か書けとスペースまでいただいたので、ミニコミ制作・営業にまつわるエピソードなど紹介していきたい。

 編集部は寄り合い所帯の小さな事務所。デザインとイラストに多彩な才能を発揮するIさん、ライター・編集者として実直な仕事と名企画を連発するWクン、撮影以外にも酒場における歌とダンスで聴衆を魅了するSさん、それに私がいて、みんなのアイドルである紅一点、Y子ちゃんがいる。全員フリー、独立した事業主だから、一緒に仕事をする機会はそう多くはない。しかしながら毎日顔を合わせているわけで、みんなで何かやらないと一緒にいる意味がないし、ライターがいて編集者がいて、デザイナーがいてカメラマンがいるのだから、やりゃあできる。では何をつくるか。酒が好きだから酒の雑誌にしよう。極めて安易なスタートだった。
 創刊は、昨年の10月20日。印刷は500。しかしながら売るアテのない商品である。おい、これ、どうすんだよ……。仕事場に堆く積み上げられた梱包を見てひたすら焦り、早くも創刊を後悔しはじめた。しかし同時に、忘れかけていた営業魂に火が点るのを自覚してもいた。私は、ライターになる以前の20代のほとんどを営業マンとして過ごした。目の前に売るべきものが積み上げられている。それだけでじっとしていられなかった。
 梱包を破いて10冊ほど抜き、一目散に駆け込んだのが神保町の「書肆アクセス」。地方・小出版流通センター(地方出版物やミニコミなどを扱う取次会社)がここにあると思い込んでいたための愚かな振る舞いだったが、ここで本社の存在を教えられ、即座に川上社長に電話をかけた。
 雑誌を創刊したので見ていただきたい……。
 川上さんの声のトーンは一気に下がった。何の雑誌? 酒です。トーンはさらに下がって早くも聞こえないくらいになる。サイズは? A5で64ページ、オールモノクロ(こんな言い方ないのでしょうが)。いくらなの? 350円です。
 するとトーンは一気に上がり
「よそうよ。お互いにいいことないよ!」
 もうダメかと諦めかけた。川上さんは今にも電話を切りそうに思えた。しかし、引っ込みもつかない。営業の基本は客に会うことだ。
 とにかく見てやってください……。来るの? 参ります。これから? すぐに向かいます、とにかくお願いします!
 30分後。私は川上さんと一緒に市ヶ谷砂土原町の喫茶店にいた。創刊号のページをめくりつつ、川上さんが矢継ぎ早に言葉を浴びせてくる。道楽なのか?いえ道楽というかなんというか……。今は70年代と違うんだよ。はあ……。だいたい字が小さ過ぎるよ。あ、あの大きい字のページもございますんですが……。私はもはや卑屈な作り笑い男と化し、あろうことか沈黙してしまった。  
 その時、
 「200部でいってみるか」
 川上さんがにこやかに言った。都内のいくつかの店舗に限って流通してくれるというのだ。しかも、リブロ、ブックファースト、紀伊國屋、三省堂、ジュンク堂など名だたる書店が名を連ねているではないか。本を流通させるための実務的な手続きについて説明を受けながら、私の目は早くも潤み、鼻水を垂らしそうになっていた。苦労の末に小さな求人広告の注文を初めて取った20年前のあの日の感動が蘇ってきた。外堀へ向かう坂道を下りながら、仕事場へ電話をかけた。
「地方・小さんがね、200部流通してくれるってさ」
「ウォー、やりィー!」
 電話に出たWクンが叫んだ。できあがってきたばかりの500部のうち200部の行き先が決まった。あと300部……。頭の中は早くも、次の営業先を探し始めていた。

(「書評のメルマガ」2003.6.5.発行 vol.119 [営業魂に点火 号]掲載)

 

第2話 「お代はいらないよ」というひと言に、私は泣いた。

 地方・小出版流通センターが200部の流通を快諾してくれた10月の夕暮れ、川上社長に1冊進呈した私の手元には9冊の『酒とつまみ』創刊号が残された。初刷500部は絶対に完売してやる、と鼻息は荒かったが、どこで? と考えればなにひとつ手がかりはない。とりあえず「三晴」という飲み屋へ直行した。ここは、ホッピーマラソンの第1回、市ヶ谷駅下車時点で取材させていただいた店。広告営業マンだった頃の行きつけでもある。
「大将! この間の雑誌、出ました」
「おう! 聞いてる。ちゃんとウチのこと載ってるってな」 
 なんで知ってンの? いや、大日本の人が知らせてくれたからさ。あ、そうか……。ここ市ヶ谷は印刷製本を依頼した大日本印刷のお膝元。現場の酒好きのスタッフが納品前にこっそり読んで大将に知らせてくれていたというわけである。印刷の現場にも評価されたみたいで実になんとも嬉しく、創刊前の雑誌の内容が外部に漏洩したことについての疑念はまったく湧かないのであった。
「今日、何冊か持ってる? 持ってる分だけ置いてきな。お客さんに配るからさ」
 私は手元に1冊を残し、残り8冊を大将に渡した。飲み屋さんへの直販など考えもしていなかったときのこと、私は8冊分の代金をどう回収したものか迷った。さんざん世話になった人だ、定価というわけにもいくまい、じゃ6掛けでどうだ? いやいやここは5掛けで恩に報いるべきか……。私は気が弱い。
 結局、言い出せなかった。
 ご馳走さん! そこそこ飲んで席を立つと、
「創刊祝いだ、お代はいらないよ!」
 私は込み上げる涙を堪えながら、しばし角刈りの大将と見つめ合った。なんという、実になんという……、いや、ありがてえ!
 一行に満たない文言も支離滅裂になりながら、独りごちた。駅へ向かう堀端の道で、お代はいらないよ、というひと言を思い出すたび鼻水が垂れかかった。私は、泣き虫だ。
 市ヶ谷から次に目指したのは吉祥寺。「ハバナムーン」というバーだ。ここのKさんというマスターは、我らが『酒とつまみ』の企画・取材・編集作業が正月に始まったにも関わらずいつしか夏を越えていったその様を見ていた人。ホッピーマラソンでヘロヘロになり、ようやくこの店にたどり着いた私に、ブラディメアリーやラフロイグのソーダ割りなどでトドメを刺してくれた心やさしい御仁だ。この人に、できたばかりの1冊を届けたかった。
「できた? やったね。ちゃんとしてるじゃないの。オレ、壁新聞みたいなのができると思ってた」
 Kさんはそう言って笑った。
 ウケなかったらどうする……。私はそれだけが心配だった。
 翌日、金曜日の午後。飲み過ぎでヘタリ気味になりながらポツポツと原稿を書いていると、Kさんから仕事場に電話があった。
「ウチのHPで紹介するから、読者が直接ゲットできる方法を教えてよ」
 方法って、どうしよう……。何も考えていなかったのだ。
 電話番号を載せるにしても、誰もいない時間帯がウソみたいに長い怠慢至極な寄合い所帯、読者に失礼になってしまう。
「大竹さんのメールアドレス載せればいいじゃないですか」
 と言ったのは編集Wクン。が、しかし、私はインターネット恐怖症(理由は省く)だ。困った。それを見かねたWクンが、オレのアドレスでもいいっすよ、と言った。そうなると弱気で泣き虫だが負けず嫌いな私は黙っていられない。アドレスの公開を決意した。
 そして夕刻。「ハバナムーン」のサイトを覗くと、なんとKさんの連載日記の欄に、酒とつまみ創刊と題する長大な推薦文が掲載されていた。みんな買えよな、という熱いメッセージ。入手方法もある。私はまた泣いた。
 その晩、店を訪ねると、Kさんは店でも20冊販売してくれると言ってくれた。
 さらに、HP掲載から2日と置かずに、私のアドレスに見ず知らずの人から2通のメールが届いた。
「酒とつまみ購入希望です」
 インターネット恐るべし。そして持つべきものは友達だ! などと自宅のパソコンに向かいながらワケのわからないことを思いつつ、私は勘定した。三晴で8冊、メールで2冊、ハバナで20冊。合計30冊。あと270冊!
 友人・知人への感謝と、インターネットへの崇拝がフツフツと湧き起こってきた。

(「書評のメルマガ」2003.7.16.発行 vol.124 [早くも夏バテ? 号]掲載)

 

第3話 『酒とつまみ』はセンザイじゃないんだって!

 初刷500部のうち230冊の行き先が決まった直後から、『酒とつまみ』スタッフの猛烈な営業活動が始まった。編集Wクンはリュック(古いね)を1万円で購入(ちなみにこれは、彼の所有するあらゆるモノの中でもっとも高価な品物である)。友人をはじめ、昔勤めていた会社の同僚、上司、先輩、後輩、そのまた友達などへ一斉にメールを送信、電話もかけてアポ取りに狂奔し、毎夜『酒とつまみ』を担いで売り歩いた。サッカー部出身で編集部最年少。酒も滅法強い。そして翌日には必ず、5冊分、10冊分の現金を編集部にもたらすという、体育会系営業魂を存分に発揮した。
 周囲の好意も嬉しかった。ライター仲間のSクンは5冊、Tさんは20冊を購入、知り合いに配ってくれた。私は泣いた。そしてWクンに負けじと走りまわった。知り合いの銀座のバー2軒に持ち込んで販売を依頼、これが意外なことに成功して15冊を銀座に置けることになった。無謀なことが楽しかった。
 一人趣を異にしていたのがカメラのSさん。今夜はどこに届けようか、誰の店なら置いてくれそうか、そんな話をWクンと私がしている横で、Sさんは連日、宛名書きに勤しんだ。名刺ホルダーをめくり、年賀状の束を取り出して宛名を書いては、郵便局へと通った。Sさんは言った。
「これよお、いいセンザイになるよなあ」
 センザイとは宣伝材料。つまりSさんは、汗と涙とゲロが染み込んだ創刊号を自身の営業ツールとして無料配布していたのである。Sさんとてラグビー部の出身。体育会系だ。しかし残念ながら編集部最年長。六本木で飲み倒していたかつての酒量は陰り、しかも3児の父、教育費負担に喘ぐ世代だ。
 しかしここは譲れない。私は言った。売ってくれ、と。
 Sさんの目に火が点った。というより、ようやく状況が飲み込めたようだった。Sさんもまたリュックを購入、創刊号20冊を詰めて夜の街へ消えた。行った先は15年来の付き合いの編集プロダクションと、行きつけのフィリピンパブ。とにかく押し込むという昔ながらの営業手法だったが20冊を売り切った。
 フィリピンパブのママは居合わせた客に、350円の創刊号を1000円で売ったという。
「オレはこの歳になって、人というものが信じられなくなった」
 Sさんはそれまで、ママを信じていたのだった。これには腹の底から笑えた。
 知り合いを訪ね歩くゴリ押し体育会系営業で、編集部の在庫は見る見るうちに減った。創刊号の納品から約2週間後の10月末、在庫はわずか100部になっていた。
 そして11月。いよいよ書店営業に突入する。

(「書評のメルマガ」2003.8.7.発行 vol.127 [充実の投稿 号] 掲載)

 

第4話 そして私は、増刷を決めた。

 予想外の出荷で在庫は100冊になったが、増刷を決意するには至らなかった。酒にまつわるバカ話、脱糞話、ゲロ吐き話ばかりをテンコ盛りにした『酒とつまみ』が何百人もの人に読んでもらえるなどとは到底思えなかったし、とりあえず今は本が出払っているとはいえ、後になれば揃って返品される事態も十分に予想されたからだ。加えて、なにより肝心な書店への営業が、恐くて仕方なかった。
「あ、あの、酒とつまみの、大竹と申します」
 などと切りだそうものなら、
「へ? アンタ、酒とつまみなの。どこからが酒で、どのへんがつまみなの?」
 と返されかねない。ホントに恐かった。
 また、紀伊国屋、三省堂、岩波ブックセンター、吉祥寺パルコブックセンターといった、地方・小出版流通センターが出荷先としている書店を覗いても、我らが『酒とつまみ』の姿を見ることはなかった。そこで自己紹介し、これを置いてくださいと頼めば良いのだが、それができない。明らかにビビっていた。
 そんなヘタレ状態を救ったのは1本の電話だった。忘れもしない11月15日の午後。
「西荻窪の信愛書店です。そちらで出している『酒とつまみ』を10冊、ウチの店にも置いてみたいのですが」
 仕事場でデザイナーのIさんと二人でクスブッていた私は素っ頓狂な声を張り上げ、椅子から立ちあがって深々と頭を下げた。信愛書店はIさんも私もよく知っている店で品揃えがいい。電話を切って振り向くと、満面の笑みをたたえたIさんの顔がそこにあった。
 これで元気が出た。翌16日、編集Wクンと私は手分けして地方・小出版流通センターが納品している都内の書店を回った。そこで驚くべき事態に遭遇する。リブロ池袋は10冊納品のうち8冊が、ジュンク堂では5冊のうち3冊が売れ、リブロの担当者は「これ、おもしろいよ、もう追加出しといたから」と信じられないひと言を口にした。さらに、渋谷のブックファーストでは10冊近くが売れ、すでに20冊の在庫をキープしたというし、それまで置いていなかったリブロ青山店からは10冊の注文を得た。担当者いわく、
「中島らものインタビューか、完売するよ」
 そこへ、神保町を担当したWクンから電話が入った。
「信じられないことが起きています。書肆アクセスは26冊、今月の1位。ヤリィー!」
 ホントかよ、おい……。私は、増刷を決めた。

(「書評のメルマガ」2003.9.7.発行 vol.131 [北京の夏 号]掲載)

 

第5話 増刷の部数も決まり、いざ関西営業へ!

 『酒とつまみ創刊号』を増刷することは決めたものの、部数では悩んだ。売れ行き好調とはいっても追加注文は来ていない。100部か、200部か。何を判断基準にすればいいのかまるで分からない。そこで、大日本印刷に印刷製本費に問い合わせると、その返事は、
「小ロットの場合、ほとんど差が出ない」
 というものだった。
「それなら初刷同様、500でいくか!」
 単純極まりない私はそう提案したが、編集Wクンは、200か多くても300が限度ではないかと言った。初刷分さえ完売できる保証はどこにもないのだから、当然のことなのだ。
 そんな折、私はWクンとふたりして、執筆陣の一人、浜本茂さんを訪ねた。第2号の原稿依頼である。本の雑誌社の応接室で私は、こんな阿呆な雑誌を作ったことで叱られるのではとビビっていたが、浜本さんはとても好意的だった。
「楽しく読ませていただきました。ところでホッピーマラソンはどこまで行くの。中央線は高尾の先もあるから、ホッピーがどこまで置いてあるか確かめる。そう、ホッピーのフォッサマグナを突き止めるのはどうですか」
 私の緊張の糸はプツリと切れた。あはははは。そうッスねえ。行ってみますか山梨、長野! すでに1杯飲んだかのように調子付き、実は増刷も、と口走った。
「ほう。何部?」
「500部、いってみようかと」
 おお、と驚く浜本さんの笑顔を、私は激励と受け取った。
 笹塚駅を目指して商店街を歩く間も浮かれ気分が抜けない。ホッピーのフォッサマグナか。いいねえ。この際、松本まで行ってみっか……。すると、
「500にするんですか。初めて聞きましたよ」
 Wクンだった。
「いつ、500に決めたんですか」
 さっき、だった。アンタ大丈夫かという顔をしてWクンは押し黙る。私も、急速に不安になってくる。しかし、自信満々で500部と言った手前、引くに引けない。
「営業頑張るからサ。中島らもさんが出てくれてるから、関西でもイケると思うんだよ」
 私は、テキトーなことを言った。しかしこの咄嗟の言い逃れが、『酒とつまみ』全国営業の発端となっていくのだ。
 12月初旬。神保町の書肆アクセスから届いた情報誌『アクセス』の売行き良好書第1位に、『酒とつまみ創刊号』の名があった。WクンとデザインのIさんは即座にこの情報を盛り込んだチラシを作成、私はそれをファックスで送り、熱烈な電話営業を開始した。
 ファックスの送信先は、ブックファースト京都店と、梅田店だった。

(「書評のメルマガ」2003.10.8.発行 vol.135 [関西の秋 号] 掲載)



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