■2003年6月1日(日)〜6月11日(水)■

6月11日(水) ソーダ割り4杯で胸ドキドキ、大丈夫か!  文責:タケ
 ド三日酔い……。昼間の間のことはあまり詳しく書く気もしないほど。それでも働いた(当たり前だ)。そして夕刻。もう今夜だけは飲まぬと思っていた矢先、自らダイヤル。相手は呑み助の編集者。今週中に打ち合わせをという話はあったし、今夜を除けば実現不可能であることもまた事実ではあった。事実ではあったが、なにも今夜やるこたあない、という状態でもあった。しかし、飲んじまった。3時間ほど。実は2杯目あたりから気分がすこぶる良くなって(これだから恐い)、結局のところ4杯ほど。それで帰路についたが、地下鉄の中でなぜか胸苦しい。妙に胸がドキドキする。なんかヘンだ早く帰って寝ようと思う。ところが、である。もう一軒行っちまう。なぜなのかわからない。そこで2杯。明日こそは飲むまい。と、真剣に誓う夜道、霧のような雨が全身を濡らしていた。傘を持っているというのに。

6月10日(火) ド二日酔いが癒えぬうちに           文責:タケ
 週の頭。月曜の朝。週末に酒を控え気味にしたお蔭で体調万全。午前中から全開で仕事に励み、昼飯もレバニラ炒めライス大盛りをばっちり食って夕方に備えた。仕事がらみだがバーへ出向くことになっていた。撮影メインだから同行のSさんは忙しいが小生は撮影後に取材をお願いした人と飲むというフォローのほうにも目を配っておく程度、という具合だった。そして撮影は無事に終了。そのまま飲みに入るのだが、軽く飲んで食事をしてスマートに帰ろうという、万全な体調を少しでも維持継続したい思惑は早くも裏切られた、というより自らバラバラにしてしまう。酒ばかりのハシゴ。途中サンドイッチくらいは注文する機会があったが、あまり手が伸びないのでグングン酔って、3軒目に到着した頃にはできあがり状態。明るいうちからの飲みであったからまだ早いのに完全にできあがっていた。その店でマティーニ。これがトドメの一撃となったか、終電間近の電車に乗るも、途中から意識朦朧。まったく、強くもないのに締めのマティーニなんかやるからこうなる。帰宅すると女房が起きていて(だからまだ早いのだオレにしては)、どこで飲んできたかと詰めるので、飲むには飲んだがさして飲んでないその証拠にホラまだ飲めると、冷蔵庫からビールを取り出す始末。始末に負えない……。このビールが、ホントのトドメだった。
 本日は午前中から人に会うというのに、トドメはまだ体内に居座っていて、言葉を発するにもなるべく息を吐かないように注意する。迷惑かけている。本当に迷惑なヤツ。やっとの思いで昼頃事務所に戻り、しばしテキパキと雑務に打ち込むのだが、まだトドメの一撃の余波が残っている。ド級の二日酔いだ。しかももう一件、出かけなければならない。電車の中でもヘロヘロ。なんとか仕事を終え、再度事務所へ帰還。ようやくひと息、というところで古くからの知り合いでひたすらお世話にもなっているT氏襲来。仕事の打ち合わせもそこそこに、オイ早く行こうぜ、と、言葉でせっつき、鋭い眼差しでも、せっつく。そこで再びSさんと合流、後からWクンも駆けつけて事務所近くの店で飲む。ビール、ビール、ビール、レモンハイ、レモンハイ、レモンハイ、レモンハイ。もういいよ、という頃合で、まだみんなのグラスに酒が残っているというのにSさんお得意の「閉店間近レモンハイ4杯注文」が飛び出した。グロッキー! 

6月8日(日) 日曜朝ベランダビール!パジャマで!    文責:サイトウ
 土曜日はぬいております。終日です。お酒ですよ。すると次の日曜日は早くから眼がさめることになっておりまして、も〜大変。8時頃からソワソワです。家族はまだ布団の中。一人で朝飯を作り、一人で食べます。俺、料理作るの苦じゃないんです。その朝は讃岐うどんをうがいて冷まし、ショウガ醤油と生卵をグチャグチャ混ぜカツブシをパラパラ、も〜最高です。ベランダに出てイップクします。家の中は禁煙なんです。もう慣れました。逆に気分がいいもんです。そこに俺専用の椅子があるんです。この椅子は昔、六本木ブイブイの頃、ひいきにしてた居酒屋の改装であまった小さな木の椅子を貰ったものなんです。そこに座って新聞をひろげます。スポーツ欄!今日秩父の宮で日本とニュージーランドです!ラグビーです。高校時代ラグビーやってまして、今のサッカー人気をみると少しだけ寂しい気にもなるのですが、やはり世界との差がサッカーと比べて、いかんともしがたいわけでして、しゃ〜ないわな〜!と言ってると、かみさんが起きてきて、洗濯物を干しにかかってます。いい天気です。あなた!2時からラグビーやるね!全日本勝つ?ぼろ負けだよ多分。気を使ってくれるんです、かみさん。俺は花に水をやりながら、そろそろビールタイムといくか!一本冷蔵庫から持ってきました。ぷしゅ〜!と開けます。洗濯物が風に揺れてます。一口ぐび〜!とやります。あ〜旨い!天気のいい日はそんな感じで午後までベランダです。ラグビー見ながら3本ぐらいですか。いい気持ちです。ベランダのロッカーから七輪を出して炭をおこしにかかります。いわし、なす、アスパラ、ネギ、エリンギ、焼くんです。最高です。あ〜!もう夕方です。ふと見ると朝のパジャマのままでした。

6月6日(金) みどりのあなで酒つまの売り子となる    文責:サイトウ
 夕方5時頃調布に向かって京王線に乗った。酒つま2号60冊とおつり用の釣り銭が入っている紙袋はかなり重い。まだ帰宅ラッシュ前で車内は比較的空いていた。笹塚から4歳位の男の子を連れた親子が俺の隣に座った。座るなりその子は母親に言うのであった、ママ!チンチンがかゆい!そしてゴシゴシと股間を掻き出している。ママは、だいちゃん!(子供の名前か?)やめなさい!見てごらん、そんなことしてる人だ〜れもいないよ!やめなさい!その時俺も少し、かゆくなってきた。……。そんなことはどうでもいい。目的地は調布グリーンホールである。我らが酒つま連載陣の松崎菊也さんとすわ親治さんのライブ会場で本を売るのである。いや!売らせていただくのである。主権者側のご好意で今回2回目の出店である。開場の6時、ドドッと人々が入って来る。あら〜3号が出たの?この前買ったのよ。面白かったわよ。ありがとう御座います。まだ2号です。次はいつ出るの?今、3号編集中です。もうしばらくお待ち下さい。評判は上々である。ありがたいことだ。そうこうしているとデザイナーのI氏が応援に駆け付けてくれた。2人で大きな声を出していると皆さん集まってくれてパラパラと本をめくってくれる。そして1冊2冊と買って行ってくださる方もいる。結局、19冊も売れた。本当にありがたいことである。少し遅れて編集長O氏も合流し、打ち上げの会に同席させていただいた。根強いファンの方達が大勢集まり、ライブ同様打ち上げも盛り上がっていた。帰りの京王線の車中、少し増えた現金と少し減った本を手に、O氏が言った、今日もいい酒でしたね。

6月5日(木) やっぱり研究してみるもんだ           文責:ナベ
 午後5時から編集部にて「思いつき研究レポート」の取材。編集発行人O氏、カメラS氏、僕の編集スタッフに加え、女性編集者Yさんにも参加してもらい、まだ外は明るいというのにアルコールを口にし、時折眉間にシワを寄せて研究者風を装いつつ研究を行なった。何の研究だったかは次号を読んでもらうとして、一同が予期せぬ研究結果も出たりして、大いに驚く。どんなことでも、やっぱり研究はしてみるもんだ。その後、浅草橋の安い中華食堂へ行き、ここの旨い生ビールと料理を味わった後、解散。といいつつ、O氏と僕は吉祥寺のバーで午前2時まで、昨夜のドラゴンパーティーの話なんかしながらハイボールを痛飲。今夜もまた、撃沈した次第。

6月4日(水) 今宵はドラゴンパーティー            文責:ナベ
 午後10時くらいまで「酒とつまみ」の取材ネタのテープ起こしをした後、O氏とともに編集部を出る。今夜は浅草橋で飲まずに、そのまま2人で吉祥寺へ。お互い空腹だったので、駅近くの台湾料理屋に入った。生ビールで乾杯し、青菜炒め、豚バラ肉、キュウリモミなどを注文。最近ビタミン不足でヘタリ気味の僕に対して、「さあさあ、ビタミンを摂るのだ!」とすすめるO氏。了解という返事とともに箸を伸ばしまくった。二人とも生ビールを2杯飲み干し、普段ならレモンハイに移行といったところだが、今日は違った。せっかくだから紹興酒を飲もうか。そうっすね、何にします? そんなやりとりをしながら壁の貼り紙を見渡すと、目に入ってきたのが「淡麗紹興酒」。その小さなポスターをよく見ると、専用のピッチャーに大量の氷とレモン、そして淡麗紹興酒1本分を注いだ後、専用のグラスで飲むと書かれている。大人数でワイワイと飲みあうそのスタイルを、ドラゴンパーティーと呼ぶそうだ。うーむ、何なのだ、これは。初耳ですね、日本人が勝手に作った名前じゃないっすかね。何で淡麗なのだ。さあ? などと話し合った後、我々は「わーい、じゃあ、たった2人でドラゴンパーティーだー!」とか何とか言いながら、淡麗紹興酒を頼むことにした。新しもの好きなのである。その後、パーティーは滞りなく進み、飲みやすいこともあり酒はどんどんなくなり、酔いもどんどん進むこととなった。ピッチャーが空になったときには2人ともそれなりにベロベロ。ここで退散かと思いきや、すっかり勢いづいたO氏がレモンハイを注文したので、僕も付き合ってレモンハイ。結局、閉店の午前1時まで飲むことになった。店を出ても「まだ俺たちのパーティーは終わってないぜ、もう一軒行くぞ」といわんばかりの様子で、まるで勢いが衰えぬO氏。しかし、かなり足にきていた僕はそんなことお構いなしに、O氏をタクシーの中へ蹴り込み、そのままふらつきながら徒歩で家路についたのである。

6月2日(月) なんもかもほったらかしてボストンへ   文責:イモト
 こっち(ベルモント市)はまだ禁酒法時代の流れとかで、町中どこを探してもお酒売ってません。隣の州まで買いに行くのです。地元にも醸造場があって、みんなとってもビールが好きなのにずーっとこの習慣を守っているのです。アメリカはあいかわらずバドワイザーもおいしいです。「酒つま」編集部で一人酒に弱いというか一杯で充分な自分にとって、つまみ特にお魚がおいしく、しかも安いボストンは天国です。こちらのほうも車で高速道路を片道30分のとこまで買いにいくんですが、そんな苦労をしてもうまいものが安い。キングサーモン・ファーム(これは養殖のことです)はポンド(池のこと)と言われる天然物よりは安いそうですが、それでもイモトの地元の魚屋、三鷹コラルでは高級食材。まずそれを1.5ポンド(1ポンド453.6グラム)、ホタテ貝柱1.5ポンド、大きい甘鯛みたいなのも1.5ポンド、これはみんな「刺身OK!」で、それに私の好きなサバを一匹あわせて32$。最高です。なんか別の店ではキングサーモン一匹を千円ぐらいで売ってるときもあるらしく、うれしくて頭の中でずーっと「おさかな天国」が流れておりました。たたた・ヘイ!

6月1日(日) この世でいちばん旨いビール         文責:タケ
 小学校の運動会をこの時期に開催するようになったのはいつからだろう。我らが小学生時代は秋が本番というかメインであって、たしか初夏の頃にも運動会があったのだけれども、それは秋の大運動会に対し、春の小運動会と呼ばれていた。ひとときもじっとしていることができず運動パワーが炸裂していた当時の小生など三多摩(旧北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の三つを合わせて、いわゆる都内以外の東京は無造作にこう呼ばれていた)のガキどもを管理監督する人々にとって、年に2回の運動会開催は幼いうちから非行の芽を摘む絶好の措置かと思われた(ンなこたあない?)。しかし、時代は変わり、いつしか運動会は年に1回になり、それも、あろうことか秋の開催を中止して、初夏1本に絞るとはなんとも不思議なことだ。秋には学芸会や展覧会があるから忙しいという理由はわかるが、どうも腑に落ちないのは私一人だけではないであろう。
 ともかく――。運動会でした。三児の父である小生はいちばん上の子が1年生になった年から末っ子が6年生になるまで連続してこの運動会を見ることになるのだが、今年は数えて9回目であった。演技・競技内容は毎年似ているからいい加減に飽きそうなものだが、それが不思議に飽きない。自分の子供だけではなくて、ヨソの子も可愛いのだ。名前も知らない子供たちが鬼のような形相で走っている姿を見ると胸に温かいものが満ちてきて感涙をこぼしそうになる。そして、つい一杯やりたくなる。
 ところが、運動会では飲んではいけないのだ。その場で注意警告されることこそないが、飲めば必ず、後で噂が立つ。眉を顰めるお母様がいる。これは、痛い経験である。小生がガキだった頃には一升瓶抱えてデンと座り、テメエの子も近所の子も分け隔てなく絶叫をもって応援したおっさんが何人かいたもので、だからオレも運動会では飲んでやるぞと、数年前、親として初めて見る運動会を前に、喜び勇んでいたものだった。そして、少しばかり飲んだ。飲んだらたちまち、噂になった。いわく、応援席での飲食を控えようと申し合わせているのに酒を飲むとは何事か……。はいはい、わかりました。わかりましたよ! 飲まなきゃいいんでしょ。
 ということで今年も飲まなかった。昼の弁当のときも茶を飲んだ。我慢に我慢を重ねた。やがてすべての競技は終わり帰宅した夕刻。よく頑張ったなと子供の頭をゴシゴシこすりながらも冷蔵庫へ一直線。シュポンと大瓶の栓を抜いてグビリグビリ。大ぶりのグラスで一気飲みだ。文句なし。異議も疑問も迷いもない。この世で一番うまいビールだ(大袈裟だねどうも)。


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