■「酒とつまみと営業の日々」第71話〜第75話 ■

第71話 11号完成・拡販トークでトークできず

 ベロベロ泥酔校了を終えた『酒とつまみ』編集部に待望の11号の完成品が納品されたのは、2008年9月5日のことだった。この季節の納品はきつい。完成時に取次店に直接納品されるのは1000部だったので、残り9000部を、エレベーターのないビルのことゆえ、階段で3階まで担ぎ上げるのだ。きつい。オレには無理だ。
 とはいえ、納品日にはカメラのSさんも駆けつけてくれるし、編集部にはN美さんという女性ながら強い味方もいる。焦らず、ポツポツやろうよ。そんな声をかけるのは、息が続かない私だが、9000冊の重みというのは、やはり、ありがたいもので、階段の上り降りをしながら、ときどき、ちょっと感動していたりする。
 担ぎ上げを終え、ビールで乾杯。このビールは猛烈にうまい。そして、その日のうちに手配すべき最初の出荷分の準備にかかる。関係者の方々、連載陣の方々、今回の取材をお受けいただいた方やお店への献本を最初に行い、夕方からは銀座のバーへ創刊以来の納品行脚に出る。この1日だけで、総出荷数は1340冊(取次店への1000冊を含む)に及んだ。
 ああ、すごいよなあ、と感慨深く思ったのは、それから約ひと月立った、9月の末のことだ。毎日の出荷分を記してあるノートを見て驚いた。5日に納品されたばかりというのに、8日には出荷が2000冊を超え、10日時点では3295冊。その後も途絶えずに出荷が続く。
 個人で申し込んでいただいてる読者の方々、直接取引をしていただいている書店さん、飲み屋さん、酒屋さんなどへ毎日毎日出荷が続く。1件ごとの冊数はそう多くはない。個人の方であれば1冊という人も多い。だから、出荷作業には時間がかかり、この時期、編集人WクンもN美さんも休む間もない忙しさで出荷を続ける。例によって、私は酒を飲みすぎて使い物にならないか、そもそも仕事場へ出てこられないというひどい状況にあるのだが。
 で、9月の末日の数字である。発売から25日経ったこの日。出荷冊数は5707冊を数えたのだ。500部でスタートし、その後2000、4000、5000と印刷部数を増やした『酒とつまみ』だったが、創刊4号から7号までは5000部で推移した。5000部が、ギリギリの天辺なのかなあと思ったときもあった。 
 それが、1ヵ月足らずで5700を超える出荷を数えたのだ。編集にも営業・出荷にもほぼ役に立っていない名ばかり編集長の私であったが、感慨だけは人一倍深い。思わず感涙に咽びそうになり、またまた、グイグイと飲みに出かけるのであった。
 月が変わった10月初旬。倉嶋編集長率いる名物雑誌『古典酒場』のトークセッションに参加させていただいた。『古典酒場』主催のイベントで、ゲストには作家の渋谷和宏さん、ホッピービバレッジの石渡美奈さんが招かれ、私もそこに混ぜていただいた。
 お客さんも飲み、トークする側も、ついでに言うと主催者代表の倉嶋編集長も飲みながら喋るという壮絶なイベントで、私はコレを機会にせめて拡販につなげ、『酒とつまみ』編集部の役に立ちたいと思いながらも、トークはままならない。ただ、酔って、振っていただく話にやっと答えるのが精一杯だった。
 それでも、会場で『酒とつまみ』は13冊も買っていただくことができた。嬉しい私は、渋谷さん、倉嶋さんたちと一緒に、会場のあった同じ市谷の『三晴』へ流れる。
 ここでもホッピー。ああ、終わった終わったという安堵感からぐぐっと酒が進み、そのころになって不思議なことに喋れるようになってくる。バカ話ばかりだけれど、それなりに自分も盛り上がれる。
 打ち上げも終了間際になったとき、ふと思ったのは、なんでこの喋りが、本番でできないのだろう……。今ならもう少しおもしろい話ができるのに……。
 まあこれも、酔った頭で思っていることでして、実際には、取りとめもない話を繰り返しているに過ぎないんですよね。そう、それがわかっているからなおさみしい、トーク後の深酒なのでありました。

(「書評のメルマガ」2009.4.17発行 vol.404 [めしを作る覚悟 号]掲載)

第72話 またまたトークで酔っ払う

 2008年10月、『酒とつまみ』11号の販売は順調に推移していた。
 その勢いもあって、私は、11月の初旬には、東京新聞主催のイベントで話すという大役を仰せつかった。
 司会者がいて、ふたりの人間がその質問などに答える形式で進むイベント。お相手は『古典酒場』の倉嶋編集長だった。企画は『大人の自遊大学』、酒をテーマにした講座を開くとのことだった。
 どういう運びになるのかまるで見当もつかないまま当日が来てしまい、ああ、何を喋ればいいのかまるでわからないと実に不安な状態で内幸町のビルを訪ねた私は、なんかこう、あまりにもきちんとしたセミナー形式の会場のあり方にまずビビリ、本番前の打ち合わせで、
「とにかく本番の間、少しだけでいいから飲ませてください」
 と、担当の方にお願いしたのだった。
 手が震えるとか、そういうことではなく、新聞社の会議室状の部屋で、素面で、真面目に聞きに来てくださっている方を相手に喋るというのは、ちょっと無理です、というほどの意味だ。
 頼んだ甲斐があって、本番開始時に、焼酎を出してもらうことができた。水だの氷だの、ぜいたくは言えない。生のままで飲むのだが、さすがは倉嶋編集長、意に介さず、ぐびりとやる。女傑です。
 私のほうは、喉を熱くしてから胃へ流れ落ちていく焼酎の感覚で、ようやくひと息ついて、司会者の方から振られる質問に、どうにかこうにか答えていくだけ。
 どんな、つまみが好きか、今までどんな店がうまいと思ったか、初めて入る店を選ぶときはどうすべきなのか、などなど、まともに答えろと言われたら途端に無口になってしまいそうな質問が次々に来たような気がするが、実はあまり、覚えてもいない。 
 どうにかこうにか第1部の講座が終る。この後は、場所を変えての2次会。これは酒の入る懇親会で、ホッピービバレッジから担当の方もいらっしゃって、おいしい飲み方を伝授してくれたりもする。
 受講された方々は、2次会の会場でも、最初のうちには、あまりお話にならない。場は、なんというか、シーンとしている、という感じに近い。
 ああ、これはどうしたらいいのか、わからない。まともな話もできず、盛り上げることもできない私は、いてもたってもいられない。
 そのとき、倉嶋編集長から『古典酒場』の法被を持参しているとの話を聞いた。彼女ももちろん羽織っているのだが、ここはもう、私もお仲間に入れてもらうしかない。
 で、結局のところ、『古典酒場』の法被を着た私は、次々にお客様に声をかけて歩くことになった。
 盛り上げるつもりだが、そんなことで簡単に盛り上がるわけでもない。しかし、何かしなければ、という思いだけはあった。
 幸いなことに、宴はその後、お酒も入ったことで和やかな雰囲気となり、中には『酒とつまみ』を創刊号から応援してくださっているという読者さんもいて、私としても、とても嬉しい一夜となった。
 イベントの後は、古典酒場、東京新聞の方々と一緒に、飲みに出る。虎ノ門から銀座へ流れ、徐々に緊張も解れる間に完全に酔っ払い、実はことの詳細をよく覚えていない状態で、帰路についた私なのでありました。みなさま、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

(「書評のメルマガ」2009.5.15発行 vol.408 [忘日抄 号]掲載)

第73話 酒とつまみ社、始動す。

 編集にも営業にも事務作業にもなにひとつ貢献しない「名ばかり編集長」としての私は、11号発行後も、イベントに出るくらいがせいぜいで、ロクな働きをせぬまま過ごしていた。
 そうこうしているうちに、『もう一杯!!』という本を産業編集センターから出版していただいた。『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』以来2冊目の本だが、日ごろから『酒とつまみ』を応援したくださる書店さんには、とても温かく迎えてもらったように思う。
 変な話だが、他社から出た単行本の取り扱い状況を気にして書店を回り、その結果として『酒とつまみ』本誌や関連の書籍もしっかりと継続販売していただいていることに気づく、ということもしばしばだった。
 こうして、2008年は暮れていくのだが、この年には、大きな出来事があった。
 11号発行より以前のことになるが、『酒とつまみ社』という会社が正式に発足した。これまで、本誌の背表紙に『酒とつまみ社(仮)』と印刷し、仮式会社だあ、などと言っていたのだが、それが本物の会社になったのである。
 これは編集Wクンの会社。これまでどおりの場所で、新しい会社はスタートした。発行元である大竹編集企画事務所は、『酒とつまみ』の企画、編集、製作、販売、管理のすべてを『酒とつまみ社』に全面的に業務委託する形をとった。
 私は、まったく文字通りの「名ばかり編集長」ということになるのだが、思えば、創刊号の発行からすでに6年以上の月日が流れている。その間も、実質的に企画編集の根幹を担い、営業についても、書店さんや個人読者との方々のパイプを地道に少しずつ太くしてきたのは、Wクンだ。この新しい会社のスタートにあたって、私はあらためて、Wクンへの感謝の気持ちを強くしていた。
 年末、連夜続く酒の席の、一段落した後の一人飲みの時間には、きまって、そのことを思っていた。『酒とつまみ』がなければ、『ホッピーマラソン』はなかった。そして『ホッピーマラソン』がなければ『もう一杯!!』もなかっただろう。『酒とつまみ』を始めること、継続することは、経済的にもたいへんな負担になったし、それは今も変わらない。しかし、そういう負担よりもはるかに大きいものを手に入れる契機になったのも、間違いなく『酒とつまみ』だった。俺はこれからどこまで頑張れるか。そう考えながら飲む酒の味は、いつもより甘く感じられた。

(「書評のメルマガ」2009.6.11発行 vol.412 [猫の聖地 号]掲載)

第74話 ホッピーマラソン文庫化決定!

 『酒とつまみ』の年末は、地元浅草橋界隈で飲むのが恒例となっている。2008年暮れの29日も同様で、私、W君、そしてカメラのSさんは、まず、『西口やきとん』の客となった。
 11号を出したのが9月。そろそろ本格的に12号の準備に入るべきタイミングだったが、なかなか思うように事が運ばない。まあ、今年もお疲れ様。来年また頑張ろうということで、いつもお世話になっている店で飲む。それで、ひとまず良しとしよう。そんなところだったろうか。
 その日は、もう1軒、ここもお世話になっている『しょっと おかめ』にも顔をだし、大将のやさしい顔を見てホッとしたのだったが、どうもこの晩はSさんのノリがすこぶるよく、我ら3人は、Sさんお気に入りのフィリピンパブへと流れた。
 私も嫌いじゃないけれど、さすがに年末の飲み疲れもあり、個人的には、子供ふたりの進学やら引越しのことなども連日気になっていて、少々ヘバっていた。W君にはそもそも、フィリピンパブで飲む趣味はない。
 ひとり元気なのはSさんだ。ご満悦といった表情で楽しむ。女性を前にしているせいもあるだろう、オレに任せておけというビッグな態度も垣間見える。ここの勘定、絶対払わしてやるんだかんな、と、誓いながら、もう電車もない深夜、私はただ飲むしかない。
 『酒とつまみ』を今後、どうやって続けていくのか。そのことについて、W君は常に考えていたし、私にも彼にばかり重荷を背負わせてしまっていることについての屈託が、ずっとあった。けれど、見ている限り、Sさんには、そういったものがない。全然ない。実に楽チンそうに見える。
 今度生まれることがあるならば、ああいう性格に生まれたい。フィリピン嬢がつくってくれる水割りを飲んでは軽い吐き気を覚えながら、私は思ったものである。
 そんなふうにして(どんなふうか?)年を越し、いよいよ2009年を迎えた。この年は、酒とつまみ社が本格的な出版社へと移行する大事な1年だ。私にとっても、『酒とつまみ』に出来る限りの貢献をすべく、いろいろと見直しをしていかなければならない1年になる。
 そんなとき、W君が言った。
「ホッピーマラソンの在庫、だいぶ減りましたね」
 それは、かねてよりお話だけはいただいていた文庫化の準備をいよいよ開始しようということを意味していた。
 出版社は筑摩書房。文庫化にあたって、単行本で走りきらなかった千歳烏山から新宿までの残り区間を走り、加筆して、1冊にしようという話である。
 「中央線で行く東京横断ホッピーマラソン」という企画の第1回は、『酒とつまみ』創刊号の巻頭に掲載した。そのときの「酔客万来」インタビューのゲストは中島らもさん。巻頭にこのインタビューをもってこようという私に、巻頭は絶対ホッピーマラソンと譲らなかったのはW君だ。その後、本誌でたまってきたコンテンツを単行本にしようと盛り上がったときも、W君は「酔客万来」より先に「ホッピーマラソン」を出すのが心意気だと言った。
 「ホッピーマラソン」は、『酒とつまみ』のひとつの原点であり、ライターとしての私にとっても原点にほかならない。文庫のためのボーナストラックで巡る駅は12駅だ。私は、創刊号のためにホッピーを飲み歩いていた頃と同じ気持ちで、まだ見ぬ酒場を訪ねてみたいと思った。

(「書評のメルマガ」2009.7.15発行 vol.416 [街への好奇心 号]掲載)

第75話 知らぬ間にトシ食ったよなあ!

 『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』の文庫化のために、新たに12駅を走りだす。これはこれで、けっこうたいへんだよなあ、などと気楽に構えていた2月の下旬。『酒とつまみ』に連載をお願いしている南陀楼さんと飲んだ。
 この連載は、古本屋さんを巡ってから酒場へ流れて酒を飲むという企画で、毎回、一緒に歩き、飲んできた。 
 今回の模様は、南陀楼さんの連載に描かれる(次の12号です、すみません)わけですが、この飲みの席で私がずっと、思っていたのは、ああ、トシ食ったなあ、ということだった。
 酒の残り方が激しくて、このころ、夕方に飲み始める酒がなかなか入っていかなかった。思えば、『酒とつまみ』という雑誌を始めようと思う前から連日の酒を飲んできたわけで、それが、今に続いているのだから、相当な連日飲酒を重ねてきたことになる。準備に入ったのが'02年のはじめだから、ちょうど7年。
 あのころ、まだ30代だったんだよなあ。飲み疲れるといつも、そんなことばかり考えていた。南陀楼さんと飲んだ晩も、そんなことを考え考え、飲むうちに次第に調子が出てきて、別れるころに、別のところで飲んでいるという友人からの連絡に迅速に対応してまた深酒をした。
 そんな状態で迎えた3月。ホッピーマラソンの残りを走り始める。ちょうど、『本の雑誌社』から出していただく本のための書き下ろし分を書くのと同じタイミングだった。
 千歳烏山から、芦花公園、八幡山、上北沢、そして桜上水。長く京王線に親しんできたけれど、深く馴染んできたわけではない駅が続く。どの店へ入るか。どこならホッピーがあるのか。走り始めてみると、今となってはちょっと懐かしいホッピー酒場探しが、妙に楽しい。
 やっぱり、トシを食ったなあ、とは思う。けれども、ホッピーの飲める酒場を当てずっぽうに訪ねて歩くのは、以前と変わらず楽しい。むしろ、1軒訪ねる旅にドギマギし、懸命になって飲んだいたときに比べると、はるかにリラックスしてホッピー酒場を訪ねることができる。
 店の人と話をし、居合わせた常連さんと話をする。それが、7年前に比べると、すこしばかり余裕をもってできるのだ。
 年齢を重ねるのも悪くないな、と思う。怖いオジサン、おもしろいオジサン、いろいろいるんだよなあ、と思っていた対象のひとりに、いつしか私もなっていたのだ。 
 店には、若い客もいる。私より若い店主の店がある。彼らには、私はどう見えているのか。きっと、そうとうにヘンなオジサンなのだろう。ホッピーを訪ねて、東京から高尾へ、そして高尾から新宿へ、各駅に降りて飲み歩いているヘンなオジサン。
 そうですよ。ヘンなオジサンなんです。でもね、これ、やってみるとおもしれえんだよ。いつか『酒とつまみ』って雑誌も、ぜひ手に取って見て下さいね。バカしかしてない雑誌ですが、やってみるとおもしれえことばっかり掲載している雑誌でもあるんです。
 以前ならそんなエラソーなこと思いもしなかっただろうに、このときの私は、自らのヘンなオジサンぶりと、『酒とつまみ』のヘンな雑誌ぶりを、少しだけ誇りたい気分になっていた。

(「書評のメルマガ」2009.8.18発行 vol.420 [ヘンなオジサン 号]掲載)



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