■「酒とつまみと営業の日々」第41話〜第45話 ■

第41話 バカもほどほどにしろよ

 何もできない、何も進まない。そんな日々を送っていた2006年3月は、それでも、もういいかげんに、さすがにどうも、『酒とつまみ』8号を入稿しなくてはならないときなのであった。7号の発行は、前年の夏。ああ、早くしろよ、本当に。そういう感じなのであった。でも、できない、進まない。
 営業はすべて、受身形だった。編集部の電話は、ごくごくたまにではあるけれど、鳴るのである。
「○△書店ですが、『酒とつまみ』っていう雑誌はそちらで出してますか」
「はい、出しております」
「お客さまからの問い合わせですが、次の号はいつ出るのですか」
「あ、次の号ですか? えーっと、それは、なんと申しますか、もうすぐ」
 なんて、間の抜けたことを言うのは私だ。
 もうすぐじゃない。なにしろ、まだ入稿していないのだ。だから正確には、いましばらく、いやいや、チョイ先、いや、もっと先……。
「いったいいつなんだ!」
 って詰められたら
「私の一存ではお答えいたしかねます」
 ってなことになりかねないのである。発行人の一存で答えられないのは、かなりマズイ。
 マズイ、のだが、どうにも建て直しができない。この頃私は、毎日、酒場の取材に追われていて、ただでさえ悪い頭に、ひっきりなしに酒が影響を及ぼすものだから、それはもう、なんというか、なんにも考えてない状態。手帳のメモを見てみれば、
〈この2ヵ月で5キロ痩せ(中略)、目がくぼみ、頬骨が出て、病気に見える〉
 なんてことが書いてある。ある朝、鏡を見たときの感想なのだ。でも、それでいて、腹が引っ込まないあたりが哀しいのだが。
 3月も下旬になった。何度、繰り返したか記憶にないほどのスケジュール変更の挙句に決めた入稿日は28日。私はまだ、自分の担当分の原稿を書き終えていないし、すでに出ているゲラも読んでない。編集Wクンにも、デザインのIさんにも迷惑をかけまくった(のんびり携帯メールなんかしているカメラのSさんにはなぜか迷惑をかけられた)と確信しつつ、涙目で作業を進める。でも、もう、あっぷあっぷ。酒に逃げる。
 入稿直前のある日、昼から飲んで夕方に馴染みのバーへ行き、すぐに帰ればいいのに長尻をしたあげく、カウンターで眠り込み、大丈夫ですかと、マスターから声をかけられた。
「うるせえんだよ、バカヤロー」 
 記憶している話ではない。これは、後日聞いた、そのときの私の台詞である。
 バカもほどほどにしないと……。と、思いながら、マスターに暴言の詫びを言ったのは、『酒とつまみ』8号の入稿を終えた、29日未明のことであった。

(「書評のメルマガ」2006.10.11発行 vol.283 [ まな板に興奮 号] 掲載)

第42話 丸善丸の内店の奇跡

 何もできない、何も進まない(また、この出だしかよ!)。というひどい毎日を送っていた我らが『酒とつまみ』編集部だが、編集Wクンの驚異的な粘りで、なんとか納品に漕ぎ着けた。私はといえば、入稿前のゲラ読みもほとんどできず、校了紙を気合を入れて読むこともできず、かといって飲まないかといえば、どっかで飲んでいるわけで、人格が破綻したままで迎えた第8号の納品なのであった。
 さて、営業をしなくてはならない。私は、出荷ノートを久しぶりにめくってみた。そこには、Wクンの筆跡による文字だけが、ずらりと並んでいた。そうなのだ。この、何もできない日々になってなお、Wクンは日々の注文に対応し、出荷作業をし、ノートに漏れなく出荷冊数と出荷先を記入していたのである。
 ああ、申し訳ねえなあ。全部やらせちゃって。そう、思う。1日に1冊の日もあれば、10冊、20冊という日もある。ノートに記入し、宛名を書き、宅配便業者を呼んだり、郵便局へ品物を出しにいったり、直取引の書店さんには、直接持っていったりという仕事は、地味で、面倒で、誰もがやりたがらない。しかしWクンはそれを、一手に引き受けてやってきたのである。
 私も営業をしなくては。そう、思うのだ。そして、出荷ノートをチェックしていくと、何もできなかった2、3ヵ月の間にも、驚くほどの出荷が行なわれていたのだった。
 創刊から間もない頃は、1日に20冊の注文が来れば雄たけびを上げて喜び、そのまま飲みにいっちゃってたりしたのだが、出荷ノートには、10冊、20冊といった、当時の大口注文が、ときどき見受けられる。細かいものを入れると、3日と空けずに注文が入っている。しかもバックナンバーがある。3号から7号までの5冊だ。そして、そのバックナンバーごとに、この2、3ヵ月の間に、50冊程度の注文が入っていたのだ。
 この、地味だけれど、コツコツと続いた注文は、8号の納品後に、私の酔っ払いウスラ馬鹿頭にもはっきりわかる事実として叩き込まれることになった。
 忘れもしない4月下旬のある日。8号発売によって、それまでの出荷分の精算に忙しかったWクンから、忙しさは同じはずなのになぜか飲んでいる私のもとへ、メールがきた。
「丸善丸の内、12万突破!」
 この書店さんとは、5号のときに直接の取引を開始した。当初委託したのは5冊。それが、6号の初回注文で10冊になり、7号の初回は20冊になった。しかも、7号のときは、その1ヵ月後に20冊、もう1ヵ月後に20冊の注文が来ている。そして2005年の11月からはバックナンバーをすべて置いてくれる状況となり、その後も3号から7号までの追加注文は続いた。
 その結果、8号納品後の精算冊数は、3〜7号まで合計で、435冊を数えたのである。卸値は1冊266円。合計金額は税込みで12万円を突破した。
 メールを見た私は、これは奇跡だ、と思った。もう酔っていたんだろうが、酒場でひとり、目を潤ませた。

(「書評のメルマガ」2006.11.14発行 vol.285 [ ゴロで覚えろ 号] 掲載)

第43話 雑誌、新聞、ラジオで紹介される

 丸善丸の内店での奇跡に酔いしれた週には、他にもニュースがあった。2006年4月下旬の木曜日、創刊当初から印刷製本すべてお任せしている大日本印刷のMさんも参加して、飲み会を開いた。第8号納品の、打ち上げである。
 当方は、デザインのIさん、カメラのSさん、編集Wクンと私。全5人で新宿歌舞伎町で飲んだ。その席に、大日本のMさんは、1冊の束見本を持参してくれた。まだ何も印刷されていないこの見本だけでも、我々はけっこう盛り上がるのである。
 8号の納品は遅れに遅れまくったのだが、8号の配本に目処がついたら、その後はすぐ、『酒とつまみ』創刊号から連載した『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』を刊行したいと思っていた。束見本は、その、初の単行本用のものである。
 そして、この飲み会の当日には、前週に取材をうけていたリクルート発行『R25』が発行されていた。数十万部も発行されている雑誌に、『酒とつまみ』編集長として私ごときが登場しているのである。
 曲がりなりにも最新号発行の打ち上げ飲み会を開くことができ、部数の多い雑誌から取材されることになった。そして、なんともありがたいことに、その週末の朝日新聞夕刊の亀和田武さんのコラムでも、たいへん好意的に紹介していただいた。
 こうなってくると、弱気で調子モノの私なんぞは、もういけない。浮き足立ってしまう。酒量が増える。
 さらに、さらに、月がかわって5月の初旬。ゴールデンウイークのど真ん中で、TBSのラジオにも出させていただいた。『ストリーム』という番組の『コラムの花道』というコーナーのゲストとしてなのであるが、時間が20分もある。初めてのことでなにがなんだか、まるでわからない。なんとなく、いきなり、という感じでスタジオに入ってモジモジしていると、ああ、もう出番が始まっているのだった。今、実は、そのとき何を喋ったのか、よく覚えていない。
 あまりの緊張で胸苦しく、声が出ないのを自ら訝しく思いながら、ああ! と、ちょっとだけ後悔していた。こんなにあがってなんも喋れないなら、スタジオに入る前に、2〜3杯ひっかけてくればよかったのだと。

(「書評のメルマガ」2006.12.8発行 vol.291 [ 年末も快楽全開 号] 掲載)

第44話 ホッピー号購入!

 『酒とつまみ』8号が納品されてはや1ヵ月近くが経とうとしていた5月上旬。私は、ひとつの決心をした。
〈これからは、自転車で納品に行こう〉
 風薫る5月ということがあっただろう。日頃からの運動不足を解消したいという思いもあった。そしてなにより、近場の納品に電車やタクシーを使うのは、なんとも実に経済的にも負担になるではないかという危機感もあったのだ。
 そこで5月8日の月曜日。私は、仕事の用事のついでに秋葉原に立ち寄った。たぶん、アキバなら自転車くらい売っているだろうという読みがあったからだが、見当がついていたわけではない。そこで、万世橋の警察署へ寄る。1階の受付みたいなカウンターで婦人警官に、
「あの、自転車買いたいんですけど」
「へ?」
「このあたり、自転車売ってませんか?」
 なんなんだコイツは。婦人警官は明らかに怪訝な表情を浮かべながら、ヨドバシカメラに行けと教えてくれたのだった。
 そこで購入したのが、いわゆるママチャリ。売り場にあったいちばん安いものにした。そのまま乗って事務所へ帰り、編集Wクンに、ついに我らが編集部は納品用の車両を購入したと宣言したのである。
 するとWクン、それではいいものがありますと取り出したのが、ホッピーのステッカー。シールになっていて、それを2枚、さっそく購入したばかりの自転車に2ヵ所、貼り付けたのだった。
 おお、ホッピー号の誕生である。おもしろい。おもしろいのではあるが、これに乗って納品に行くのは、どうなのか。そんな思いもある。
「これからは『ホッピー号』で納品行ってください。」
 Wクンはそう言うばかり。私をからかう感じなのである。
 そして翌日。水道橋の『旭屋書店』から神保町の『東京堂』へと8号の納品に回り、最後は谷中方面、『古書ほうろう』へと向かう。このお店は路面店であるから、外を通りかかるとレジのところから見えるのだが、そこへホッピー号にまたがった私がするりと登場したのを見て、ああ、やはり、店内ではニヤニヤとお笑いなのであった。ああ、やっぱり、ちょっと恥ずかしい。
 しかしながら風薫る5月である。3店舗の納品も実に健康的に終えることができた。1杯飲むしかないだろ。ってなことで、日暮里駅方面へだらだらと向かい、1軒の小さい中華料理屋に入り、餃子、ビール、味噌ラーメンでばっちり打ち上げた。
 ああ、実に気持ちいい。納品は自転車に限ると心底思うのであった。

(「書評のメルマガ」2007.1.16発行 vol.295 [ 失われた片割れ 号] 掲載)

第45話 1日30冊を出荷した歓喜の5月

 『酒とつまみ』8号が納品されてから、朝日新聞の亀和田武さんのコラムで紹介していただき、TBSラジオにも出演させていただいたことはすでに書いたが、実は4月中に、月刊誌『dancyu』のWebでも、編集者さんのお気に入りの1冊として、もったいないほどありがたい紹介文を掲載していただいていた。
 それらの反響が5月に噴出した。TBSの『ストリーム』というラジオ番組では、放送した内容をホームページからダウンロードして再生することができる。そのことを私は、このとき初めて知った。さらに、『dancyu』の紹介文の末尾には、小誌のホームページのアドレスを掲載していただいていた。 
 インターネットに非常に疎い私が、その威力を知ることになった。ネットを介してラジオ番組を聴いてくださった方と、『dancyu』のホームページから小誌のホームページへと飛んできてくださった方たちが、ネットを通じて直販を希望されたのである。
 その数がすごい。編集部には『酒とつまみ』の各号ごとに出荷ノートがあるのだが、その5月のページを繰ってみると、毎日びっしりと出荷の記録が残されている。取次店である地方・小出版流通センターへの追加の出荷は460冊。編集部と直接取引をしていただいている書店さんへの追加発送分(初回配本を除く)が約230冊。いつも激烈に注文をくれる銀座のバー『ロックフィッシュ』への追加が100冊。そして、ネットを通じて注文をくださった個人読者への送本が、128冊を数えた。これだけで、900冊を超える。1日30冊の超ハイペースだ。
 私が本当に驚いたのは、個人の読者さんからの注文数が、取次店からの追加注文数の約3割にものぼったことである。
 本を作ったら、それを買っていただく必要がある。弱小も弱小。零細企業と呼ばれる会社さえ、私たちから見れば立派すぎるくらいの大企業。それほどの弱小所帯ではあるが、作った以上は売らなくてはならない。買っていただいて初めて、次の号を作ることができるからだ。
 そんなスタッフ一同にとって、メディアを通じて知っていただいた方から、よし、見てやろうかという意思表示を直接いただけることは、驚きであり、心底ありがたいことだった。
 毎日来る注文に、コツコツと対応したのは編集Wクンである。私はどうだったか。私は酒を飲んでいた。できたばかりの創刊号を持って地方・小出版流通センターに飛び込み営業をかけ、200冊の注文をいただいた頃のことを、そして、書店の店頭で「この本を置いてください」と勇気を振り絞ってお願いした日のことを、ゆっくりと思い出しながら、ホッピーやレモンハイ、ウイスキーのソーダ割りなどを飲んでいた。
 ありがてえや。本当にありがてえ……。
 平成18年の5月は、静かな歓喜の1ヵ月だった。

(「書評のメルマガ」2007.2.13発行 vol.299 [ ぼくの猫さん 号] 掲載)



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