■「酒とつまみと営業の日々」第31話〜第35話 ■

第31話 小淵沢で激励される!

 2005年4月16日未明、高田渡さんが亡くなった。吉祥寺の『ハバナムーン』のマスター木下さんからの留守録メッセージでそれを知った。夜、彼の店で飲みながら昨年の8月15日を思い出していた。
 その日は同じく吉祥寺の『のろ』というライブハウスで渡さんのライブがあった。私と編集Wクンは、お店に頼んで、『酒とつまみ』の第5号を販売させてもらった。ライブが終り、打ち上げになって、私は渡さんに挨拶をした。すると渡さんは、もうだいぶ酔った感じだったが、目尻に深い皺を刻んで、にやりと微笑んだ。
「ああいうものを、読む人がいるらしいよ」
 あんな雑誌だが、けっこう評判じゃないか。肩の力を抜いて、楽しみながら続けたらいいよ――。そう言われたような気がして、とても嬉しかった。
 それより1ヵ月ほど前、つまり渡さんのインタビューを掲載した『酒とつまみ』第5号が出てしばらくした頃のことだが、編集Wクンは『ハバナムーン』で渡さんに会っていた。偶然のことだが、その席で渡さんはWクンに、「あれをもっとくれよ」と言ったそうだ。手持ちがなかったWクンは『ハバナムーン』に置いてもらっている分から3冊をいったん借りて、その場で進呈した。
 すると渡さん、側で飲んでいた常連の女性にさっそく1冊をあげてしまったという。渡さんは、私たちの雑誌を自ら配ってくれたのだ。バカなヤツらがバカな雑誌をやっている。読んでごらんよ、本当にバカだから――。
 それから1年と経たないうちに、渡さんは帰らぬ人になってしまった。しばらくの間、私は毎晩、深酒をした。
 4月も下旬になったが、まだ淋しさが拭えない。『酒とつまみ』第7号の追い込みに入らなくてはいけない時期なのに、力が入らない。7号目を迎えて、これからどう編集したらいいのか、少し迷う気分もあった。そんな頃、ある雑誌の取材で小淵沢に行った。『雨鱒の川』発表以来10年にもわたって筆を断ち、『翼はいつまでも』で見事に返り咲いた川上健一さんにインタビューをしたのだ。長身痩躯、かなりの男前の川上さんは、私の拙い質問にもていねいに答えてくれた。
「読者も編集者も意識せず、ただ自分が本当に書きたいものを書こうと思ったんですよ」
 『雨鱒の川』も『翼はいつまでも』も、そうして書いたと川上さんは言った。私は、この一言に打たれた。自分が本当にやりたいことをやればいい。それができれば他に何もいらないじゃないか。それは、高田渡さんがにやりと笑ったときに聞こえたように感じた言葉にも似ていた。
 私と、同行したカメラSさんは、小淵沢駅前の蕎麦屋で昼酒を飲んだ。やりたいことをやり切った高田渡さんがいて、今それをしっかり実行している川上健一さんがいる。それだけのことに、ひどく激励され、酒が進んだ。
「Sさん、俺たちもがんばりましょう!」
 すると宙を見つめていたSさんはひと言。
「ちきしょー、川上さん格好良かったなあ!」
 なにが「ちきしょー」なのか分からなかったが、すでに赤ら顔のSさんの目は、少しばかり潤んでいるように見えた。

(「書評のメルマガ」2005.12.9発行 vol.241 [ 冬のイベント 号] 掲載)

第32話 待望の7号納品に遅刻する

 第6号の発行から半年、いや7ヶ月経過した7月の末。ようやく第7号が刷り上がってきた。大日本印刷からの納品予定は午後1時。いつもこの時間にしてもらっているのだが、今回は午前中に地方・小出版流通センターに納品した後、われらが編集部へ納めてもらう手はずになっていた。ちなみに地方・小出版流通センターへの初回納品部数はなんと1400部。創刊号を200部扱ってくれることが決まったときには目が潤んだが、今回は1400である。目が潤むどころか鼻水も垂れる部数だ。
 さて、その納品であるが、私は見事に遅刻した。前夜はわが大竹編集企画事務所の12回目の決算が確定し、早くからしこたま飲んだのだった。内容が良かったからではない。そのマ逆だ。『酒とつまみ』を継続するためにそれほど多くの金銭が必要なわけではない。しかしながら、このミニコミを出すためには、実にたくさんの酒を飲まなくてはならない。嫌いじゃないから苦にはならないが、そこにかかる酒代と、使う時間を金銭に換算した場合の損失は目を覆うばかりなのである(※編集部注:『酒とつまみ』はまだほとんど利益がないうえ、スタッフ一同ボランティアなので時間がかかればかるほど自分たちの首を締めてしまうことに。トホホ)。それも、今しばらくの辛抱。もう少しがんばればきっと楽になる。編集がうまくなればかかる時間も少なくできるし、もっと売れるようになれば文字通り金銭的にも楽になる。だから今しばらくは、と思えば思うほど、発行元である大竹事務所の財務は圧迫される。
 というようなことはどうでも良い。ともかく前夜の飲み過ぎが原因で私は遅刻した。約束の1時にお茶の水にいた私は、編集部へ電話をかけ、あと10分で着くと伝えたのだが、電話を受けた編集Wクンは言った。
「勘弁してくださいよ。もう終わりましたよ」
 早くから事務所の側まで来ていた納品の担当者が時間を前倒しして編集部を訪れ、そのまま運搬に入ったというのである。真夏の昼下がり。弊社は雑居ビルの4階にあるが、その雑居ビルにはエレベーターはない。梱包を抱えて、この暑さの中、地上と4階を行き来するのはかなりの重労働である。
 私は、それを知っていてわざと遅れたのではない。しかし、私が浅草橋駅に到着する頃には、WクンやカメラのSさんの汗はすでに引いていたのである。申し開きのしようがない。私は、冷たい飲み物を買ってきた。ビールも、もちろん買ってきた。Sさんがいや〜な目つきで私を見ている。Wクンはシカトだ。
「ささ、暑かったでしょ、ま、ま、ひとつビールでも」
 へらへら笑ってみるものの、2人の表情はいっこうに晴れない。それもそのはずだ。納品をバックレたのはこれが2回目なのである。
「さあ、さあ、納品も無事済んだし、いいねえ、いい出来だね、ビールでさ、ね、乾杯、といこうじゃないの」
 プシュっと缶ビールのリングを引き上げても、2人の表情は変らない。えーい、しようがねえや、こうなったらしょうがねえや。私はひとり勝手に祝杯のビールを高々と掲げたのである。
「カンパーイ、です、はい」

(「書評のメルマガ」2006.1.14発行 vol.245 [ 高原書店バンザイ! 号] 掲載)

第33話 シール貼りこみで若き日を思う

 第7号の納品に遅刻し、編集WクンにもカメラのSさんにも白眼視された私だったが、なに、本さえ出てしまえば、あとはもう好きな営業仕事であるから、気分は軽い。例によって納品当日に回る店を回るのだが、第7号なのかと思うと、なんかこう、ずいぶんな時間が経過したようで感慨もひとしお……、そう、本当に時間が経過していたのである。
 酒のミニコミでいいじぇねえの、といい加減に決めて創刊号が出たのが2002年10月だから、もう、3年に近い。それで7号しか出てないってのはいったいどうしたことなんだと詰められた日にはグーの音も出ねえ、ってなわけだが、本当に、3年で7冊。ねえ。これでよく、はるかに長い道のりを来たものよの〜などと感慨ひとしおごっこをしてられたもんである。3年で7冊。ぜーんぶ、アタシが悪いんだ。
 さて、7号納品後のことであるが、第7号はひとつのエポックだった。ISBNコードが印刷されたのである。バーコードまで付けてしまった。これは、実にどうも、とんでもないことをしでかしてしまったような、いてもたってもいられないような、なんだかひらがなばっかりになってるような、間が抜けたようでいてやっぱりちょっと焦る出来事なのだった。吉祥寺「ハバナムーン」のマスターは言ったね。
「オレがこの第7号でいちばん感動したのは、ISBNコードが入ったことだね」
 そうなのだ。それほどのことなのだ。そしてISBN問題は、その後に大きな波紋を残すのである。
 第7号印刷に際して私は、バックナンバー用のISBN番号を登録した。これがあれば、バックナンバーも全国からの注文を受けることができるのだ。だから取得した。しかし、バックナンバーは、ISBNが印刷されていない。つまり後付けでISBNを付けなくてはいけない。シールを貼るのである。
 表4のところにシールを貼る。そんなもんワケはねえよ、と思っていた私がバカだった。貼るには貼るんだが、『酒とつまみ』には表4にはページ中央からちょっと上くらいのところにイラストが入っている。ISBNとバーコードを印刷したシールをそのまま貼ろうとすると、そのイラストの一部にかかってしまう。第3号と、第4号がそうだった。
「バックも入れてください」
 地方・小出版流通センターから、飛び上がって喜びたいバックナンバーの注文が来たとき、私は本当に飛び上がったのだけれど、その後の私は、ただひたすらISBNコードの印刷されたシールを酒とつまみの表4のイラストにかからないように切り出しては1枚、また1枚と、貼り付けていったのだった。出版社に勤務していた若い一時期のこと、返品された本のカバーを消しゴムで擦っては1冊1冊汚れを落とした頃のことを、ふと、思い出した。この仕事は楽しい。

(「書評のメルマガ」2006.2.12発行 vol.249 [ 他人の本棚 号] 掲載)

第34話 Y子不在・人手不足問題

 『酒とつまみ』第7号の印刷部数は5000部。そのうち、1400部は印刷所から直接、地方・小出版流通センターへ搬入してもらった。残るは3600部。我らが狭い仕事場に積み上げられた梱包の山を見ていると、これ、売れんのかな、と、創刊号のたった500冊の山を見たときの気分を思い出す。売らなきゃならない。なんとしても。そんな気分にもなる。
 ところで、一般的な出版物なら、印刷所から取次店へ搬入されるのが大半で、出版元に届くのはごく一部である。ウチの場合は、逆なわけで、それは、取次店を経由しない書店との直取引、あるいは読者との直取引の数がより多いからだ。取次店に入った1400部については、ただ完売を祈るのみなのだが、残った3600部については、自分たちで手を動かし、自ら店舗へ出向くなどして営業・納品作業をしていくことになる。
 前号、第6号の納品時から、問題は明らかになっていた。人手不足である。編集部紅一点Y子ちゃんの本業が忙しくなるのと、彼女が次々に開拓して取り扱い書店数が増えるのとが同時並行的に進行したため、彼女が納品・配本に参加できない状態となったとき、残された者の負担もまた増大したのだ。そして第7号の配本時には、Y子ちゃんの手をまったく当てにできない状況となっており、私と編集Wクンは、まあ、ゆっくりやるしかないよ、といいながらも焦っていた。
 自家用のボックス車を使って、一度に納品に回る手も使わないではないのだが、この方法は2人一組で回らないと効率が悪い。駐車場を探す手間も2人なら心配いらない。ところが、Wクンと私が同時に時間を空けて一気に納品に回るスケジュールというのが、実にどうも組みにくい。というより、そこまで計画的に配本したことがないのである。もうひとつ、自家用車を運転しながらの納品には問題がある。私の二日酔いが激しいことだ。運転は無理という日が少なくないのだ。ああ。そんなことで、今回も必然的にダラダラと配本を続けたのだが、Wクンは配本の傍らで読者向け直販の作業にも追われていた。とにかく忙しい。やるべきことが終わらない。つまり、人手不足なのだ。
 それなのに、一人、とぼけた男がいるのだ。そうだ、カメラのSさんである。昨年秋(2004年)から公私ともに不運に見舞われているとはいえ、多忙な我らをよそに、一人、愚痴っぽい酒を飲み、その席に、我々もたびたび付き合わされるのだ。特にWクンは、被害者と呼ぶのがふさわしいくらい、Sさんの愚痴酒につき合わされていた。少しは手伝ってくださいよと、Wクンも言うのである。しかしSさんは、聞いちゃいない。
「いいことなんか、ひとっつもありゃあしねえのよ」
 かったるい酒だ。実にかったるい。ここに、酒つま編集部人手不足問題も極まった感があった。

(「書評のメルマガ」2006.3.13発行 vol.255 [ 本棚の前で 号] 掲載)

第35話 テレビ出演依頼に悩み惑う

 人手不足問題を放置したまま第7号の配本に着手した『酒とつまみ』編集部は、今日は渋谷周辺、数日あけて今度は新宿周辺という具合に、ポツポツと配本を続けていた。編集部にいるときも、配本の仕事だけに集中できる時間は限られており、1日に2、3軒の書店さんに連絡を取り、注文をとって、荷物を作り、宅急便に出すのが精一杯、それさえできない日も多く、実にどうも、参った状態に陥っていた。
 それでも、訪ねたり、あるいは電話で連絡を取った書店さんから「もう要らないよ」と言われることはほとんどなく、むしろ「ああ、出たの、廃刊したのかと思った。でも出たんなら、もらおうか」なんてやさしい言葉をかけていただくことが多かった。嬉しい限り。いつまでも終わらない配本に焦りながらも、元気づけられた。
 しかし、5000冊を売りぬくというのは、実にたいへんなことなんだなあと、この頃、ことあるたびに思っていた。部数を5000にしたのは第4号からで、この第7号で4回目の経験になるのだが、過去の例を見ても、売れているぞ、調子がいいぞ、と思いはするものの、編集部には在庫が山となっていて、ちょっとした打ち合わせとか徹夜仕事の折りに使っていた長椅子の上にも下にも、在庫の束が積み上げられていたのだ。
 1冊あたりの平均的な卸値をざっくりと250円として、5000冊完売で、売り上げは125万円になる。ここから、印刷製本、著者への謝礼、インタビュー出演者への謝礼、送本や交通費など各種の経費を差し引いていくと、いくらも残るわけではない。経費にしても、全部を経費として処理していたのではなく、編集WクンもカメラのSさんも、もちろん私も、ちょくちょく自腹を切っていた。なんとか4000部を売って、残り1000部は在庫ということで小康を得るならば、売り上げはひとまずざっとみて100万円だから、自腹をやめて経費で処理してしまうと1円も残らないというのが正直なところだった。
 だから、なんとしても5000部を売りぬく方策を見つけたいのだが、これといった名案もない。そんな折り、1本の電話があった。
「『タモリ倶楽部』の○○ですが……」
 こういうのを出演依頼と言っていいのかわからないが、ともかく番組で酒つまを取り上げるから、みんなで出ないかという。
 私は悩んだ。テレビに出て何も喋れず無様に間抜け顔をさらすのが恐い。しかし一方で、これで知名度が上がればちょっとは売れるのでは、という山っ気も起きてくる。ここはいっちょ思いを決めて、といったんは思って、Wクンに意向を聞くと、
「俺はいいっすから、オータケさん出てくださいよ」
 カメラのSさんならと思って聞くと、
「出ないよ、俺。人生、いいことなんか、ひとっつもないんだから」
 私は、再び、悩み、惑う。
 いくらなんでも、一人じゃ、おっかなくって、出られないよ〜!

(「書評のメルマガ」2006.4.10発行 vol.259 [ 変化の春 号] 掲載)



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